カテゴリー「コラム」の記事

☆富士山★

機内から富士山が見えました。

雄大です。

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☆ロサンゼルスからの電話★

深夜にロサンゼルスの銀行に出向中の友人から電話がありました。
11月で帰国するので、それまでに来ないかという話です。
まぁ、行ければ行きたいのですが、なかなか・・・。

ただ、「今週末は空いてるけど、来ないか。再来週の週末でも大丈夫だぞ。なんならサンフランシスコ待ち合わせでもいいけどなぁ」って・・・。

あのぉー国内じゃないんだから、「週末」ってのはおかしいだろ。(--;)

まぁ、ロサンゼルスに行くとなると、どう考えても最低4日はいるし・・・。
どうにかできれば良いのですが・・・。

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☆復活当選★

ここ一週間、非常に慌ただしくて、ブログの更新が遅れておりました。
謹んでお詫び申し上げます。

ところで、昨日、衆議院議員選挙がありました。
結果は、予想された通りでして、特段の驚きはありませんが、正直な感想を一つ。

「やっぱ、復活当選はおかしい!!」

というのも、自民党の復活当選した連中の多くは、今回の選挙の敗北に責任のある連中ばかりです。

本来、自民党を改革していこうと、本気で頑張っていた若手や中堅の議員が軒並み落選し、今回の敗北に最大の責任のある閣僚経験者や派閥の領袖が比例で復活するというのは、どうも納得がいきません。

これでは、自民党は次の選挙で復活するどころか、政党自体がなくなってしまうのではないかとすら思えてきます。

誰を比例の上位におくかは、政党の自主的判断に委ねられるべき事柄ではありますが、政権選択の衆議院選挙においては、少なくとも、政権運営に責任のある閣僚や党幹部を比例の上位におくことは止めていただきたい、これが私の正直な感想であります。

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☆マニフェスト★

民主党が政権公約(マニフェスト)の「修正版」を発表したようです。
なんでも、『「米国との自由貿易協定(FTA)締結」との部分を「協定の交渉を促進」と改める』ということのようです。

読売新聞

自民党もどうかとは思いますが、民主党は国民へのわかりやすさを強調していたのですから、この表現の変更は正直どうかと思います。ある意味、彼らの否定する、どうとでも解釈できる「官僚言葉」そのもののような気もいたします。

「締結」と言えば、目標ははっきりとするのですが、「協定の交渉を促進」とは一体何をするというのでしょうか。最終的に、「締結」を目指すのであれば、「締結」のままで良いはずですし、FTAの締結はしないというのであれば、はっきりと「締結しない」と言えば良いだけのことでしょう。

おそらく、本音は農村を支持母体とする議員は、「締結しない」のでしょうし、都市部の議員は、「締結」へと向かいたいというところでしょう。

その両者の間をとって、「交渉を促進」という表現に落ち着いたというところなのではないでしょうか。

善意解釈すれば、「米国との自由貿易協定(FTA)締結」へ向けての交渉はするけれども、その「交渉を促進」する過程において、米等の主要機関食物だけは例外扱いするように努力していきたいというところなのでしょう。

(それならば、そもそも「FTA」なのかという気もいたしますが・・・。)

民主党が官僚批判をするのであれば、自分たちも、マニフェストには一体何をするのか、どうとでも解釈できるような表現ではなく、出来る限り明確な道筋が見えるような表現をしていただきたいと思います。

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☆狂犬病★

インターネットを見ていたら、毎日新聞に「<狂犬病>予防接種わずか4割 侵入許せば流行も」との記事が載っていました。

yahooニュース

日本国内で犬に噛まれて狂犬病を発症した患者は、1954年を最後に出ていません。ただ、世界的に見るとかなり希有な状況で、世界中では毎年数万人が死亡しています。恐ろしいことに、発症すれば致死率100パーセントです。

これだけ発症者がいないと通常の医師では狂犬病の患者を診ることができません。犬に噛まれた後の曝露後接種のタイミングも日本の医師のほとんどは知りませんし・・・。もちろん、相談を受ければ接種のタイミングや対応は、調べればすぐにわかるので、実際には心配する程のことはないかとおもいますが。

で、なんで私が「狂犬病」の記事に反応してしまうかというと、私、以前、ラオスで野犬に襲われ、狂犬病ワクチンの接種をうけているからです。

現地で、2回の接種、帰国後、感染症専門病院で続けて3回の接種を受けました。その間、自分でも色々と文献を調べたり、治療に際して日本での狂犬病の権威の先生の診察を受けたりしたため、狂犬病に関しては、ある意味通常の医師よりも、詳しいかも知れません。

その経験を踏まえてなのですが、外国では「犬に噛まれた」というと、みんな相当深刻な顔をします。それくらい、恐ろしいということが分かっているからです。

特に手や顔を噛まれると、かなり危険です。発症率もかなり高いですし。

良く、見知らぬ犬の前にかがみ込んで、犬の顔を覗いたり手にえさを載せて犬に食べさせようとしたりする行為をする方がいらっしゃいますが、それは相当危険な行為です。特に外国では絶対におやめください。

ただ、狂犬病は恐ろしい病気ではありますが、噛まれた後、直ちにワクチンの接種(合計5回)を行えば、発症前に抗体ができますので、発症を防止することは可能です。

ただし、発症までの最短期間が一ヶ月、そして、体内に抗体ができるまでの期間も一ヶ月とその期間は同じです。つまり、噛まれた直後にワクチン接種を行わないと間に合いません。

その怖さと時間的制約だけは認識しておかないと、最悪の事態を招いてしまいます。

狂犬病についての以前の私のブログ

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☆臓器移植法改正(総括)★

もし、私が国会議員であったとすれば、今回のA案に賛成していたと思います。

ただ、今回の改正案が可決されたことで、臓器移植が行いやすくなるということには正直疑問があります。

もし、自分の家族が脳死状態に陥った場合に、「脳死=人の死」として受け入れることができるかと言えば、おそらく無理だと思います。多くの方もそうなのではないでしょうか。

ただ、普段から本人の死生観について話を聞いており、家族もそのことを熟知していたような場合には、本人の意思を尊重し、脳死判定を受け、「死」として受け入れることができるかもしれません。

とはいえ、そのときになってみないと分からないというのが、正直な所です。

ただ、今回の改正案が可決されたことで、本人の意思を家族が熟知しており、家族もその意思を尊重しようと考える場合に、書類の不存在を理由に臓器提供ができないという事態は避けることができるようにはなるでしょう。

その意味では、一定数のドナーの増加は見込めるかもしれません。

とはいえ、臓器移植は、ドナーがあって初めて行いうるものであって、必要性が先行する議論には、私は、賛成致しかねます。

臓器は「もらう」のではなくて、その後の人生をドナーと一体となって共生していくものだというのが、私の臓器移植に関しての基本的考えです。

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☆臓器移植法改正(批判)★

今回の改正について、「国家が国民の死を擬制するものだ」とか、「拙速すぎる」との批判があります。

しかし、臨床的に脳死と医師が判断したからといって、法的にも「死」とみなされる訳ではありません。法的に「死」とみなされるためには、法的脳死判定を受けて、「脳死」と判断される必要があります。

法的脳死判定を受けるか否かは、家族が自由に決することができるのですから、「脳死=人の死」として受け入れたくないのであれば、脳死判定を受けなければ良いだけのことです。この議論には、法的な意味での「脳死」についての誤解があるように思えます。

また、「拙速すぎる」との批判については、重要な問題については多方面からの議論が必要で、そのためには十分な時間が必要であるという意味では、一般的にはそうでしょう。

しかしながら、本件では、臓器移植法が成立してから、今年で12年目です。しかも、臓器移植法には附則2条で、「法律の施行後三年を目途として、この法律の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ」とあるように、成立当初から、成立後の議論が予定されていました。

では、その間、いかなる議論が行われてきたというのでしょうか。法案に反対であるのであれば、その問題点を積極的に指摘し、議論していくべきであったはずです。

にも関わらず、実際には放置してきた(少なくともそのように映っている)というのは、ある種の不作為であって、今になって「拙速すぎる」という指摘には、やはり説得力がないと言わざるを得ないと思います。

反対であるのであれば、反対の立場で十分に議論していくべきであって、その不作為の責めを相手方に負わせるというやり方には、やはり賛成致しかねます。

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☆臓器移植法改正(理論的観点)★

今回の改正案の最大の変更点は、本人の承諾を不要とした点です。従来の本人の承諾を必要としつつ、承諾可能年齢を12歳に引き下げる案、子供に限って承諾を不要とする案も提出されました。

しかし、後者いずれの法案にも理論的な難点があります。

まず、本人の承諾を必要とする以上、そこには承諾可能能力を考えなければなりません。いかなる能力があれば、有効な承諾をなしうるのか、その能力の基準はどうするのかといった点です。

その場合は、他の法令との理論的整合性が問題となってきます。

たとえば、民法では、自らの財産の死後の処分についての能力として遺言能力があり、その基準として、15歳としています。

この点、承諾可能能力についても、自らに属するものについての死後の処分ということであれば、遺言と同様15歳を基準とするのが自然でしょう。

仮に、財産の処分には財産管理についての高度の判断能力が必要であるけれども、自己の身体の処分については、そこまでの判断能力は必要ないということであれば、遺言能力と異なり、12歳で足りるということにも、それなりの理由があるでしょう。

しかしながら、死の受容については、自らの宗教観、倫理観と不可分のものだと考えれば、財産の処分以上の高度の判断能力が必要であるとも考えられますし、財産以上に身体は価値のあるものだと考えるのであれば、財産処分以上の高度の判断能力が必要だということにもなるでしょう。

いずれにせよ、なぜ、財産処分よりも判断能力が少なくて足りるのか、その点についての議論がなされることなく、子供の臓器移植の必要があるから、年齢を下げればよいというのは、かなり乱暴な議論であると言わざるを得ません。

また、子供の場合に限って承諾不要としてしまうのでは、成年以上に保護の必要性のあるにも関わらず、要件を緩和してしまうことになり、法体系上に矛盾が生じてしまいます。

理論的観点からいえば、大人も子供も含めて本人の承諾を不要とするか、本人の承諾が不可欠だと考えるのであれば、承諾可能とはいかなる状態で足りるのか、そのきちんとした説明がなされなければなりません。

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☆臓器移植法改正★

先日、臓器移植法改正案が参議院を通過し、可決されたようです。
今回の改正案の条文それ自体をネットで調べてもなかなか見つからないので、報道等の情報を下に、意見を述べされていただきます。

臓器移植法は、日本初の倫理法であると言われています。
倫理と宗教の問題は不可分の問題でもあり、戦後、日本人が宗教自体を忌避してきた経緯からも、国民的議論を避けてきたように思えます。

その意味では、現実的必要性があったからとはいえ、国会で議論した上で、一定の結論を示したことには、それなりの評価をしてよいのではないかと考えています。

ただ、倫理の問題は、究極的には個人の価値観の問題に帰着することもあって、大筋ではこちらの方向が正しいのではないかという方向を示すことはできても、絶対的に正しいということはできません。

したがって、今回の改正案が可決されたからといって、この改正案が倫理的にも正しいとは、必ずしも言えません。

以上のことを前提とした上での私の意見です。

人の死をいかにとらえるのかということは、究極的には残された者がその人の死をどの段階で受け入れることができるのか、という問題に帰着すると思います。

というのも、臨床的な脳死段階に至れば、当人には、科学的に見ると当然意識はありません。(あるはずだというのは、それ自体、宗教的感覚ですので否定は致しませんが、私が申し上げているのは、あくまで、純粋な科学的見地からです。)

とすれば、人の「死」の問題は、当人の問題というよりは、むしろ、その人を取り巻く身近な家族であるとか友人といった周囲の、究極的には社会的な問題であると、私は思います。

その点では、今回の改正案が、本人が明示的に拒否の意思表示をしてない場合にも、脳死を人の死としている点も、それほど、おかしな話ではないと思います。

むしろ、臓器移植の場合に「限って」脳死を人の死とするという形では、移植が必要だからという、必要性が先行しているように思えてなりません。

そこには、最も優先すべき「死」を受け入れる側の観点を、「限って」と限定することによって、逆に、軽視してしまうのではないかという危惧感すら抱かざるを得ません。

以上の点からすれば、脳死を「死」として受け入れるという家族の同意がある場合に、脳死判定を行い、その結果、法的にも脳死と判定された人を「死」亡したものとすることには、合理的な理由があると私は思います。


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☆過剰反応?★

マスクを買おうと、ドラッグストアに行ったところ、あちこちのお店で売り切れ続出です。
コンビニにも、マスクだけが売り切れになっています。

こんな現象は、平成の凶作(確か今から15、16年前でしたっけ)で、スーパーから米が消えた時のようです。

ただ、どうなんでしょうか。もちろん、感染症に対して、予防策を講じる必要性はあります。とはいえ、今の状況を見ていると、何か過剰反応のような気もいたします。

しかしながら、感染症は、広がってしまってからでは遅いので、適切な予防を講じること自体は決して悪いことだとは思いませんが・・・。

今回の騒動を見ていると、日本人のある種の過剰反応的性格が表れているようにも思います。それ自体が悪いことだとは思いませんが、本当に、対応しなければならないところで対応しないで、それほど、神経質になる必要のないところで、逆に不安をあおってしまう、そんな側面もあるのではないかと、思ったりも致します。

たとえば、住基ネットにあれほどプライバシー侵害だと声高に叫んでいる一方で、企業のアンケートや懸賞に、いとも簡単に自己の個人情報を書いて応募したり、また、店舗の会員登録では、勤務先の情報までも、簡単に書いてしまっている人も多く存在しています。本来プライバシーを問題にするなら、後者の方が余程問題にも関わらず、その点に関しては無関心であったりと、日本人の対応には、少しばかり矛盾が多いようにも思えます。


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☆まさか道を間違うとは・・・★

普段は、自衛官の立場にたって意見を述べることが多いのですが、今回ばかりは、批判をいたします。PAC3部隊の発射機を載せた大型特殊車両が、道を間違って、事故ったと報道されています。

朝日新聞

他紙では、車列に遅れて離れてしまったとも報道されていました。

武器を運搬している車両が、道を間違えるなどとは、正直、驚きました。
通常であれば、入念な経路チェックと打ち合わせをしてから、運搬するはずです。

車列から外れるなどということは、あってはなりません。
なんのために、警察の護衛がついているのか、そのあたりの認識をしっかり持っていただきたいと思います。

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☆高速道路1000円均一★

今日から、土日祝日が1000円乗り放題になるようです。
自民党の政策としては、成功だと思います。

このおかげで、ETCの普及が一気に進みましたしねぇ。
もちろん、既存の公共交通機関との軋轢もあるでしょう。

今後は、それをどうしていくか。それが、政治の問題かもしれません。
ただ、環境問題を考えると、鉄道や船舶の利用者が減って、自家用車の利用が増えるというのは、 あまり歓迎すべき事態ではないようにも思えます。

とはいえ、高速道路を効率的に利用できれば、一般道の渋滞緩和にも役立つでしょうし、その意味では、環境的にも良いのかも・・・、 ただ、このあたりのことは、統計がでないとなんとも言えませんが。

高速道路の料金については、ある程度弾力的に、時間帯やルートによって、細かく変わっていって良いと思います。それによって、 車の流れをコントロールでき、効率的な公共資本の利用が可能になってきますから。

その意味では、行楽客を中心に消費にプラスの影響を与える休日の値下げは、歓迎すべきでしょう。

民主党は、高速道路を無料にするといっていますが、実際にその政策はどうなのでしょうか。
高速道路の負担程、受益者負担が妥当する分野もありませんし、現実的にここまでETCが普及すれば、弾力的な値下げによる、 交通のコントロールの必要が現実的だとは思いますが・・・。

これも、東京にいるとわからないのですが、地方の高速道路は、片側2車線の道路がほとんどです。中には、未だに、 片側1車線の対面通行の道路も多く存在します。

そんな状態のところに、大量の車が流れ込んできたら、渋滞は必至です。その回避の手だてを打たないと、 交通が麻痺してしまう可能性もあります。

そのような事態になってから、じゃぁ道路を新たに・・・などということになると、それこそ、「道路族」になってしまいます。

ETCによる時間帯、ルートごとの弾力的な料金設定が、私は一番良いように思います。

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☆弁護士とビジネス★

私は、弁護士は基本的には法律コンサルタントだと思っています。
クライアントに対し、法律の専門家として、適切なアドバイスを行う、そういう存在だと思っていたのですが・・・。

本日の朝日新聞の記事です。

朝日新聞

『「支払いの繰り延べや分割払いなど利便性が強調され、弁護士の仕事がビジネス化しかねない」などの懸念が多数寄せられた。』 とあります。

あの業界は、ビジネスではないそうです。
ビジネスではなかったら、一体何なんでしょうか。

確かに、刑事弁護なんて、ボランティア的側面があるでしょう。
それだけをやっていたら、事務所が維持できませんから。

ただ、じゃあ、どこで利益を出して、従業員の給与を支払うつもりなのでしょうか。
当然、時間的効率の良い仕事もしていかないといけないはずです。

そういう仕事をとってくるというのも、一つのビジネスだと思うのですが・・・。

多くの法律事務所では、固定費を毎月入ってくる顧問料でまかなうという運営を行っています。
ビジネスでないとしたら、その「顧問料」というのは、どういう性質のものと考えているのでしょうか。

まさか、「献金」などと考えているわけではないでしょう。
私は、早晩、「顧問料」という形態はなくなってくると思います。

そんな対価性が明確でない費用を、支払い続ける余裕は企業にはありません。
個々の案件ごとに、法律事務所を使い分ける、そういう形態になっていくはずです。

いままでは、弁護士の数も少なかったですし、いざというときのために、弁護士との間にパイプを持っておきたかった、そのために、 顧問料という形で、一定の結びつきをしてきたという事情もあるでしょう。

しかし、今後は、変わってくるはずはずです。

いつまでも旧態依然とした体質のままでいいはずはありません。

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☆自衛隊法の条文★

ご覧になったことのない方は、一度、自衛隊法の条文をみていただきたいと思います。
いかに場当たり的に、その場しのぎで改正されてきたか、その経緯も含めてです。

自衛隊法

平成20年だけで、5回も改正されています。
平成16年以降で、合計28回です。
ほぼ毎年、5回~6回も改正されていることになります。

本来、軍隊の権限を定める法は、どんな緊急事態であっても、やってはいけないことを明記するという形でなければなりません。
なぜなら、緊急状態下では、予め何が起こるか分からないのですから、想定外のことが起こった場合には、やはり、明文がなくても対応しなければならない場合が生じてしまうからです。

その場合、超法規的に行うのか、法に基づいて行うのか、いずれにしてもやらなければいけないことには変わりはありません。
ならば、どちらの方が、より法治国家と言えるか、それは、当然後者でしょう。

そうであるならば、緊急状態下における踏むべき手続きについてだけは詳細に定めた上で、事後的なチェック方法を含めた是正策を講じ、具体的な行動については、どんな緊急事態であっても、やってはいけないことを明記するという形で、後は、責任者である防衛大臣、総理大臣の判断に委ねるという形で定めるしかないのではないかと思います。

いつまでも、場当たり的に対応するということでは、逆に、自衛隊の「暴走」を止めることはできないのではないかと、思ったりもいたします。

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☆艦艇派遣★

 ようやく海自艦艇が派遣されることになりました。なぜ、こんな当然のことが行われるまでこれほどの時間がかかってしまったのかということの方が、不思議でなりません。

 とにかく、自衛隊派遣というと、それだけで、その必要性や限界についてなんら議論することもなく、条件反射的に反対する一部の勢力の存在とそれに迎合するメディア。

 先日も、TBSで自衛隊艦艇の派遣よりも、民政支援が先だというおきまりの報道がなされていました。
 別に、民政支援を必要なら、平行して行えば良いだけで、どこの政党もそれには反対はしないはずです。

 ただ、民政支援とは言っても、無政府状態の場所に、いきなり民間人を派遣できるわけがありません。
 そうなれば、当然、護衛のための陸自の部隊派遣が必要になってきます。それならば、彼らが反対しているイラク派遣と同じことでないですか。

 もし、部隊派遣は認めない、単に、医薬品や必要物資を送るだけで良いというのなら、それは、どうやって運搬するつもりなのでしょうか。航空機で輸送するのでしょうか、それとも船舶?

 ならば、航空機や船舶の安全確保はどうするつもりなのでしょうか。
 船舶の安全航行ができないから、海自艦艇を派遣するのでは?

 結局のところ、彼らの主張は、金を出すだけにしろと言っているのと等しいのです。
 それで、国際社会の一員と言えますか。

 自衛隊はとにかく駄目、海保で十分という議論も、そんなことを言っている政治家は、全く状況認識ができていないか、海保の職員の生命、身体に対する安全を考えていない無責任な連中に過ぎません。

 海保の船舶はその多くが、通常の船と同じ構造になっています。これはつまり、火力の強い兵器による攻撃によって被弾すれば、即、沈没するということを意味しています。

 商船を護衛する艦船が、それら商船と同じ構造しか有していない、それで、護衛などできるはずもありません。

 それではと、今度は、このような場合に備えて、海保の艦船も重厚な軍艦構造の船舶を持てば良いなどという議論になってくると、そもそも、あなた達は海保を軍隊にしたいのかと言いたくもなってきます。

 とにかく、自衛隊の派遣だから、即、駄目という議論は、いい加減、ここら辺で終わりにしていただきたいものです。

(参考)
読売新聞社説
日経新聞社説
産経新聞社説

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☆国外退去の方向性★

以前、私がブログでも書いていた、フィリピン人一家についての問題に結論が出たようです。

読売新聞

「同省から、3人で帰国するか、のり子さんだけ日本に残るか選択するよう求められていたが、同省は27日までにどちらかを選び、 帰国日を決めるよう改めて求めた。」

ということですので、法務省としては、出来る限りの考慮をしたということだと思います。
子供の滞在についての可能性について、検討したということは、それなりに評価されてしかるべきだと思います。

以前のこの問題についてのブログです。
http://g-first.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8300.html

外国人の問題は、感情で語るべきでありませんし、多くの不法滞在者への影響もあります。
偽造旅券での不法入国という悪質な行為を行った両親の強制送還は、致し方ありません。

問題は、子供の立場について、政府がどれだけの考慮をしたかということです。
今回は、それなりの考慮をした上での結論だと私は思います。

 

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☆強制送還の問題について(その9)★

そろそろ、議論も出尽くしたようですし、私の意見は、回答をすべて読んでいただければご理解いただけるかと思いますので、そろそろ、 この議論も終わりにしたいかなと思っております。

(コメント11)

私もこじきさんの意見に同意。
勝手にしかも不法に入国した国で勝手に子供生んでおいて自分の悪事がバレて追い出されそうになったら子供がいるから見逃してくれなんて、 甚だ日本をバカにしてますよね。
何より祖国に帰すのが可哀相だなんて、フィリピン人をバカにしてませんか? 第一フィリピンに住んでるフィリピン人そのものを侮辱してますよね。
一見同情してるように見えても、 祖国のフィリピンよりも他国の日本で暮らすのが幸せだなんて決め付けは所詮先進国の奢りに過ぎないと思います。

子供がいるから犯罪がお目こぼしになるんじゃ、 幼女を誘拐して殺しても犯人に子供がいれば親が刑務所に入ると子供が親から引き離されて可哀相だからとその誘拐殺人犯もお目こぼしになっちゃいますよね。
子供がいるから強制送還可哀相なんて全然情状酌量の理由にならないですよね。 私は例え子供がいても犯罪者はさっさと強制送還するべきだと思います。
他人名義のパスポートで不法入国で不法滞在ってどっからみても立派な犯罪だし、同情の余地もないと思うんだけど、 子供をダシにして同情誘うところが姑息でえげつないと思う。
この一家もこのまま排他的な異国で犯罪者として後ろ指指されて暮らすより、祖国に帰って一からやり直した方がいいんじゃないでしょうか。
日本が排他的だとか冷たいとか抜かす外国人は排他的で冷たい日本になんかとっとと見切りをつけて、 排他的でなくて冷たくない国に行けばいいんですよ。

(私の回答)

コメントを頂戴することはありがたいのですが、私に対するご批判であれば、私の主張をきちんとごらんになった上で、 ご批判下さいますようお願いいたします。

私は、当初より『彼女の両親が強制送還されてしまうことには、私は反対はいたしません。』と申し上げております。

「何より祖国に帰すのが可哀相だなんて、フィリピン人をバカにしてませんか?」 「祖国のフィリピンよりも他国の日本で暮らすのが幸せだなんて決め付け」とのご批判についてですが、私の意見についての誤解がございます。

まず、『対象となった子が、フィリピン人としてのアイデンティティがすでに構築されており、日本で暮らすよりも「祖国」で暮らす方が、 ベストであるとするならば、強制送還という選択もありうる』と主張しております。

強制送還に何が何でも反対という立場ではありません。

『ただ、一般論として考えれば、日本で育ち、中学生にもなれば、日本人としての自我も芽生えているのではないか、とすれば、 『日本国外への強制送還によって被る不利益が大きすぎるのではないかというのは、至極普通の感覚』であると、主張している』のであって、 子供の福祉の観点から、関係機関は、情に流されることなく、子供の強制送還の是非については、判断すべきであると主張している次第です。

決して、「祖国のフィリピンよりも他国の日本で暮らすのが幸せだなんて決め付け」てはおりません。

『彼女の自我がどのような形で形成されており、彼女にとって日本で暮らす方が良いのか、或いは、「祖国」で暮らす方がよいのか、 様々な諸事情を勘案した上での判断』すべきだと申し上げております。

また、「子供をダシにして同情誘うところが姑息でえげつない」とのご意見ですが、私は、

『また、「あくまで「家族一体」の日本滞在を求め、両親の違法行為はチャラにせよというもの」という主張には、 違和感を覚えております。だからこそ、『子供をネタにして、自分たちの利益を図ろうというのは、ともすれば、児童虐待に準じる行為だ』 とも申し上げているわけです。』

と主張しております。

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☆強制送還の問題について(その8)★

(コメント10)

いったん帰国して再度入国するものと仮定した場合に、過去に偽造旅券行使で密入国し長期滞在を目論んだ両親はアウト (そもそも解体工とクリーニング店店員では専門性が乏しいと判断されて労働ビザは出ない)、日本に馴染んで主たる語学も日本語であるとして (まるっきりタガログ語ができないとは思えないが、中1まで日本で教育を受けている事実は受け止める必要あり) スポンサーを得た上で日本での勉学継続を求める子供の留学はOKかも…という点は同意します。

ただ、この家族がそれを望んでいれば…という条件付きです。何か入管が事なかれ主義で無策であるような言い方をしていますが、 父母と子供への在留特別許可を求めて家族一体となっての日本滞在を…との無体な主張を続けているのは、他ならぬこの家族ですよ。 しかも最高裁判所まで争って結局は敗訴している。それでもマスメディアを利用してお涙ちょうだい、 日本人の弱みでもある情にほだされて道理を引っ込ませるための作戦で、報道番組で子供を晒すような映像を垂れ流して…。

そこにどうして入管が子供の福祉のことを考えて、行政が身勝手に親子を引き裂くような判断ができるというのでしょうか。 家族や弁護士それに支援者がよく議論して、 彼らがイニシアティブをもってそういう提案をし再度在留特別許可について考慮して欲しいということであれば、 入管も再考する余地はあるかもしれません。ところが報道を見る限りはあくまで「家族一体」の日本滞在を求め、 両親の違法行為はチャラにせよというもの。

法務大臣がいくら自由裁量を有しているからといっても、 それは勝手気ままに当の本人達の意向をも無視して世論が良かれと思っているような判断をしてもいいということでは決してありません。

入管がきちんと「子供の福祉」を配慮したという過程を明確にして結論を出すべき…というのは理屈としては理解できますが、 自分達は祖国で謹慎するから子供だけ日本に残してほしいといった嘆願なり上申なりが出されて始めてそういった検討が始まるのではないですか。 それを経ないままに子供だけに在留特別許可を出して、のちのちその子供がフィリピンで親子で生活した方がまだマシだった、 こんなことは望んでいなかったなどと言われたら、先の判断ミスの責任は法務大臣一人で負わなければならないのです。

残念ながら、今は弁護士たちの口車に乗せられあるいはノンフィクション物語の撮影byTBSが進行しているために、 落ち着いて先を見通していないようですが、早く家族が自分達のことを自分達だけで決められるようなときが来てほしいと思います。

(私の回答)

正義感様のご意見には、特別反対の意思を有している訳ではございません。子供をダシに使っている両親及び、その周りの「支援者」 そして、TBSの報道姿勢には、問題があると思っております。

「どうして入管が子供の福祉のことを考えて、行政が身勝手に親子を引き裂くような判断ができるというのでしょうか。」

入管には、直接的な権限はないでしょう。法律を調べた訳ではありませんが。

ただ、過程を明らかにして欲しいというのは、TBSが一方の立場に、荷担した報道を行っているがために、 日本人のメンタリティからすれば、情に流されやすいという側面があるので、そうならないためにも、是非、 議論の土台に揚げていただきたいというのが、正直な意見でもあります。

「行政が」「親子を引き裂くような判断」は、児童虐待のケースでは、一時保護という形で、行われるかと思います。かつて、 イギリスではかなり強権的に、「親子を引き裂くような判断」をしておりました。しかし、それに対する反省もありますし、元々日本では、 強権的な発動はほとんどありません。

ですから、正義感様が仰る通り、「家族や弁護士それに支援者がよく議論して、 彼らがイニシアティブをもってそういう提案をし再度在留特別許可について考慮して欲しいということであれば、入管も再考する余地はある」 という形が、私はベストな方法だと思います。

また、「あくまで「家族一体」の日本滞在を求め、両親の違法行為はチャラにせよというもの」という主張には、違和感を覚えております。

だからこそ、『子供をネタにして、自分たちの利益を図ろうというのは、ともすれば、児童虐待に準じる行為だ』 とも申し上げているわけです。

入管との間の具体的な話し合いの経緯が出てくるのであれば、情ではなく、理性的な判断をなし得るのではないでしょうか。

「判断ミスの責任は法務大臣一人で負わなければならない」の点につきましては、法務大臣は最高責任者ですので、当然です。 それだけの責任を果たす自負がなければ、そのような地位に就任すべきではないと思っております。

逆に言えば、法務大臣が、単に「人道上」の点だけを強調し、両親も含めて、特別在留許可を出してしまえば、 その後に生じる影響については、法務大臣として、当然に責任を負うべきです。

私は、法務大臣が、「子供だけには特別在留許可を出したかったが、 『自分達は祖国で謹慎するから子供だけ日本に残してほしいといった嘆願なり上申』書が出されていない以上、現行法上では、 そのような判断はできない。したがって、子供については形式的には、一旦強制送還という手続きをとらざるをえないが、出国後、 直ちに入国ビザを発給するよう、指示をだしたので、子供の立場にも出来る限りの配慮をした。」というような形で、きちんと、「子供の福祉」 にも配慮したという形での見解が示されれるのであれば、制度上、強制送還という形も致し方ないのかなとは思っております。

正義感様が仰る、「早く家族が自分達のことを自分達だけで決められるようなときが来てほしい」というご意見には、 全く持ってその通りだと思います。

 

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☆強制送還の問題について(その7)★

(コメント9)

追加条件を承りましたのでそれにあわせて修正いたします。

「子に対する福祉の観点から総合的に考えて、金を出して現地のサポートも万全にするべきである。さもなければ強制送還するな」

ってことでよろしいですか?他に何か付け加える要求はないですか?

(私の回答)

私は、まじめな議論にはおつきあいするつもりはございますが、喧嘩するつもりはございませんので、その点は、 ご理解いただきたいと思います。

私が、いつ『金を出して現地のサポートも万全にするべきである』と申し上げましたでしょうか。

私が申し上げているのは、この子が「祖国」で受けられるであろう環境と、日本での生活環境とを比較して、どちらか、 子の福祉の観点からふさわしいかを総合判断して、強制送還の是非については、検討すべきであると申し上げております。

日本政府が、フィリピンでの生活保障をすべきだとは一切申し上げておりません。

『対象となった子が、フィリピン人としてのアイデンティティがすでに構築されており、日本で暮らすよりも「祖国」で暮らす方が、 ベストであるとするならば、強制送還という選択もありうる』のでは、ないかと申し上げているだけです。

 

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☆強制送還の問題について(その6)★

(コメント8)

>子供の福祉の観点
とても危険ですね。
彼女の両親と彼女は確信犯だと思います。子供に在留資格が与えられれば、それにかこつけて両親が合法的に来日するのは必死です。 そして大手を振って外貨を稼ぐ。私はそこがポイントだと思います。
いくら「子供には罪は無い。子供の福祉の観点」といっても、それは通らない、 まして国家が転覆するかも知れない危険をはらんだ考えではないでしょうか?
次から次に模倣犯が現れ、日本中に不法在留者で溢れかえる。まさに国家の転覆です。
ちなみに、余談ですが私の前妻も比人です。あの国の常識は親子別々に生活してもどうも思わないのが常識です。なぜならば出稼ぎ大国ですから。 毎月お金さえ送れば何も言いません。それに、この問題の子ですが、「タガログ語が話せない」と言うのはありえません。なぜならば、 両親とも比人だからです。彼等は彼等だけの時は、まず日本語など使いません。 仮にその子がタガログ語を話せなくても比国にそういう境遇の子供の為の施設もあり無償です。教育のレベルは日本より低いですが、 教育は教育だと思いますし、仮に比国で生まれていれば、それが彼女の受けるべき教育です。それが、 たまたま日本で生まれ住んでいるので特別に(人道的に) 日本の教育を税金を納めていないにも拘らず受けているだけだと言うのが現状だと思います。
正直、こういった事例は両親がただ単に日本で稼ぎたいだけ。それを、子供を使い騒ぎ立て権利を得ようとしているとしか思えません。 端的に言えば、この子供もグルです。
比人には義理も人情も法を遵守するなどと言う観点はゼロです。確かに全ての人ではありませんが、大部分がそうです。彼等のスタンダードは 「お金になれば何でものいい」です。
そういう比国独特の背景も踏まえたほうがいいと私は思います。
一個人の不法残留者の子供の福祉の観点より国家存亡の方が私は重要だと思いますし、家族全員(子含む)が強制送還されても、 本来あるべき姿に収まるだけなのでなんら問題は無いと思います。

(私の回答)

『比国にそういう境遇の子供の為の施設もあり無償です』という事情があるのは、知りませんでした。

そうであるならば、高幡様へのご回答でも書きましたように、『対象となった子が、 フィリピン人としてのアイデンティティがすでに構築されており、日本で暮らすよりも「祖国」で暮らす方が、ベストであるとするならば、 強制送還という選択もありうる』とは思います。

しかしながら、一般論として考えれば、日本で育ち、中学生にもなれば、日本人としての自我も芽生えているのではないか、とすれば、 『日本国外への強制送還によって被る不利益が大きすぎるのではないかというのは、至極普通の感覚』であるとは思います。

ですから、おそらく、TBSの報道を何の先入観もなく見た人が抱いてしまう感覚も、「この子がかわいそう」というものでしょう。
とはいえ、外国人の在留に関しては、情で語るべきではないと思っています。

仮に、入管が「両親は日本に滞在する許可は出せない。けれども、中学生にまでなったこの子だけは、かくかくしかじかの方法をとれば、 在留許可を出せるかもしれない。」というような、提案をしたにも関わらず、両親が「自分たちも含めて在留させろ」それ以外の方法は、 「子供の福祉」に反すると主張していたとすれば、話は違ってきます。

以前、コメントで述べたように、『今回のケースは、ある意味、政治的にも利用されている側面がありますし、 日本人のメンタリティからすれば、両親も含めて特別在留許可を出すべきだという論調に、ともすればなりがちかと思います。そうであるならば、 きちんと批判に耐えうるだけの論拠を、入管がはっきりと主張すべきだという意見も、あながちおかしな話ではない』と思っております。

もし、この点を明確にしておかないと、コメント主様が仰るように、『子供の福祉の観点』というのは、ある種、 危険な方向に利用されかねません。

元々の報道が、かなり偏りのあるTBSの報道ですので、作為的なものを感じないわけではありません。
だからこそ、入管は、批判に耐えうるだけの論拠をしめすべきだと申し上げているわけです。

そもそも、子供をネタにして、自分たちの利益を図ろうというのは、ともすれば、児童虐待に準じる行為だと思います。
また、自分たちが強制送還されても、子供に在留資格が得られた場合、子供からの仕送りをねらっているとすれば、それこそ、 子供からの搾取であって、児童虐待そのものです。

私が申し上げている『子供の福祉』というのは、責任のない子供に対する、大人がなすべき純粋な配慮ということであって、 犯罪者の子供であろうと外国人の子供であろうと、そこに区別はないと考えているからです。

コメント主様が仰るように、「子供に在留資格が与えられれば、それにかこつけて両親が合法的に来日する」ことは、 私は認めるべきではないと思います。

ですから、情に流されず、入管がきちんと『子供の福祉』を配慮したという過程を明確にして、 結論を出すべきだと申し上げているわけです。

ただ、「子供に在留資格が与えられれば、それにかこつけて両親が合法的に来日する」というのは、あくまでも現時点では、 抽象的な危険にすぎません。

一方で、対象となる子供にとっては、具体的かつ目前の問題ですので、やはり、具体的な「この」「子に対する福祉」の観点から、 いかなる手段がベストであるかということについては、真剣に考えていただきたい、そのように私は主張している訳です。

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☆強制送還の問題について(その5)★

(コメント7)

出張族のように「経済的に恵まれた家庭」のケースについては問題ないとの御主張ですから、 金があれば強制送還は許容しうるとお考えってことでしょう。

つまり金を与えなくていいからかわりに強制送還をするなってことですよね?

これはさもなくば金を出せってのと表裏一体で
すが、入管にそんな権限はありませんから

>私は、なにも金を与えろといっているわけではありません。

とならざるを得ないのは理解できます。

(私の回答)

「金があれば強制送還は許容しうると」は「考え」ておりません。

在外子女の場合には、経済的な問題だけではなく、会社や現地の日本人社会による、現地へのとけ込むためのサポート体制があるのが、 通常のケースではないかと思います。

もし、外国で生まれ育ち、母国語が話せない子供に対するサポート体制が、現地で構築されているという事情があれば、強制送還を 「子供の福祉」の見地からも、是とする余地はあります。

たとえば、対象となった子が、フィリピン人としてのアイデンティティがすでに構築されており、日本で暮らすよりも「祖国」 で暮らす方が、ベストであるとするならば、強制送還という選択もありうるでしょう。

当事者でないので、詳しい事情はわかりませんが、私が主張したいのは、彼女の自我がどのような形で形成されており、 彼女にとって日本で暮らす方が良いのか、或いは、「祖国」で暮らす方がよいのか、様々な諸事情を勘案した上での判断であるならば、別段、 強制送還にも反対しているわけではありません。

ただ、一般論として考えれば、日本で育ち、中学生にもなれば、日本人としての自我も芽生えているのではないか、とすれば、 『日本国外への強制送還によって被る不利益が大きすぎるのではないかというのは、至極普通の感覚』であると、主張している訳です。

ですから、私の言っている『日本の在外子女と同じような環境が、「祖国」でも受けられる等の特段の事情』というのは、 上記サポート体制も含めた総合的判断という意味で、『金を与えろ』と主張しているわけでも、 何が何でも強制送還すべきではないと主張している訳ではありません。

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☆強制送還の問題について(その4)★

(コメント6)

つまり、経済的に恵まれてるとはいえないから強制送還には反対ということですね。
金で解決できるレベルの話だったんですね。

僕はてっきり、日本でしか受けられない医療が必要だとか、病気で死にそうな恋人がいるとか、 彼女の介助だけを心の支えにして生きているおばあちゃんがいるとか、日本でしか発揮できない著しい才能を有していて、 すでにそれを示す実績があるとか、
そのぐらいの代え難い切実な問題があるんだと期待していました。

じゃあ「強制送還するなんて人として許せません」って書くより、「福祉の観点から、 充分な金を与えないで強制送還するなんて人として許せません」って書くべきでしたね。

(私の回答)

「福祉の観点から、充分な金を与えないで強制送還するなんて人として許せません」と仰られていますが、私は、 なにも金を与えろといっているわけではありません。

あえて言うとすれば、『「福祉の観点から、」子供の受ける不利益について特段の考慮もすることなく、 「強制送還するなんて人として許せません」』という主張です。

高幡様は、『マニラ周辺には日本語学校も多数ありますし、高等教育機関もあります』と仰っております。
確かにその通りです。在外子女であれば、そのような教育を受けることも可能でしょうし、会社の転勤ということであれば、 会社側からの様々な援助を受けることも可能です。

しかし、本件においては、具体的な事情は当事者でない以上、分かりませんが、少なくとも、私の想像する限り、 この子が強制送還された後に、日本語学校や高等教育機関に通うことは、可能性としてあり得ないでしょう。それどころが、 通常の公教育を受けることすら困難な上に、生活にも事欠くことになるはずです。

日本の在外子女と同じような環境が、「祖国」でも受けられる等の特段の事情があれば、何も強制送還には反対いたしません。

もちろん、途上国の子供たちで、学校へ行くことができる子の方が、幸せであるというというのはそうでしょう。 そうした子供たちと比較すれば、「たまたま日本で生まれたに過ぎないフィリピン人」だけを優遇するのはおかしいと言えるかもしれません。

ただ、これも想像の域を超えませんが、日本で生まれ育ち中学生にもなれば、自我としては、 少なくとも半分は日本人と同じ領域にあるのではないかと思います。

その上で、日本人の通常の在外子女と比較するとすれば、日本国外への強制送還によって被る不利益が大きすぎるのではないかというのは、 至極普通の感覚だと思いますが。

強制送還によって、おそらくこの子が被る不利益は、経済的側面も含めて非常に大きいと思います。
それと比較して、得られるメリットといえば、両親と一緒に暮らすことができるという点くらいしか思いつきません。

一方で、『きちんとした養育をできる大人がいた』として、日本に在留が認められれば、学校にも通うことができるでしょうし、 急激な生活の変化に、とまどうこともないでしょう。

私が主張しているのは、日本で生まれ育って、日本人と同じように生活をしていた子供が、ある日、突然、親が不法入国者であったとして、 何の配慮もなく、日本から追い出すことが果たして妥当かという点です。その子供には全く責任がありません。

日本でも親が貧困で、暮らしている子供たちもたくさんいます。その比較で言えば、経済的不利益を強調するのは、 論理的に矛盾しているというのは、一般論として、その通りでしょう。

しかし、親が貧困で暮らしている子供に対して、国家が手をさしのべることはあっても、個別具体的事案において、 さらに困窮するような手段をとろうとすれば、「ちょっと待て」と言いたくなるのは、普通の感覚だと思います。

日本で生まれ育って、日本人と同じように生活をしていた子供が、たまたま親が不法入国者であったからといって、 国家がその子供に対して、特段の配慮もなく、日本から追い出してしまう、そのことが果たして妥当なのか、 そのことに非常なる違和感を感じているというのが、正直な感想です。

それと、高幡様の仰る「日本でしか発揮できない著しい才能を有していて、すでにそれを示す実績がある」というのは、 一般的に日本に在留を認める場合の要件ではないでしょうか。

少なくとも、未だ発展途上にある中学生の子供に、そのような事情を要求することは、そもそも無理な話です。
この子が将来、そのような才能を発揮するようになるかもしれませんし、逆に、日本に対して害悪を及ぼす存在になるかもしれません。

しかし、それは、現時点では判断のできないことです。

私は、日本人の子供であれ、外国人の子供であれ、保護すべき必要性が認められるのであれば、国家としては、「子供の福祉」 を最優先に考えて、物事を判断すべきである、ただ、そのような意見を有しているに過ぎません。

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☆強制送還の問題について(その3)★

(コメント5)

はて
『日本で生まれ育って、かつ、中学生にもなった子供を、言葉もわからない「祖国」へ強制送還するするなんて、人として許せません。 』
と最初におっしゃっておられますが。
強制送還は認められないというご意見にしか思えませんが

いつのまに事なかれ主義の話になったんですか?

一般には若年未成年は親と暮らすことが子供の利益の観点で妥当とされており法体系もそれに準じたものになってますから、 それを外れるケースを採用しない限り「入管がはっきりと言う」必要は普通ないです。

これを事なかれ主義と批判するためには、当該子女が親とはなれて日本で暮らさねばならぬ特段の理由を提示し、 それを入管が無視していることを示さねばなりません。

ここではblog主様がそこんとこを明確にせねば、論点は永遠に明らかにならないままです。

ですので、(多くの海外子女と比較して)一体どんな特別なカワイソウ現象が本件の子女にあるのか、どうか教えていただけませんか。

(私の回答)

確かに、『日本で生まれ育って、かつ、中学生にもなった子供を、言葉もわからない「祖国」へ強制送還するするなんて、 人として許せません。 』と、一番始めに申し上げました。

これは、「面倒なやつは、あれこれ言わず追い出してしまえ」というように、入管の行動が見えたからです。
この発言は、自分の率直な第一印象を述べたまでです。

問答無用で、日本で生まれ育った中学生の子供を強制送還することに対して、いくらなんでも酷いのでは、 という感覚があったのは事実です。そのような感覚を持つ人は、実際多いとは思います。

だからこそ、情に流されてはいけないのも事実ではありますが・・・。

ブログを書いた当初は、まだこれだけコメントをいただけるとは思っておりませんでしたので、 私の考えがうまく伝わっていなかった面はあるかと思います。

ただ、一番始めにコメントを頂戴した後での返答で、『私は、責任のない子供の生活を守るために、どれだけ入管が知恵を絞ったのか、 単なる事なかれ主義に走っていたのではないか、そういう疑念が正直根底にあります。』と書いているように、当初から「事なかれ主義」 を問題にしております。

「いつのまに事なかれ主義の話になった」という訳ではございません。

高幡様の仰るように「一般には若年未成年は親と暮らすことが子供の利益の観点で妥当とされて」いるというのは、その通りだと思います。 例外的場合については、例外を主張する側に、説明責任があるというのも、仰る通りです。

ただ、今回のケースは、ある意味、政治的にも利用されている側面がありますし、日本人のメンタリティからすれば、 両親も含めて特別在留許可を出すべきだという論調に、ともすればなりがちかと思います。

そうであるならば、きちんと批判に耐えうるだけの論拠を、入管がはっきりと主張すべきだという意見も、 あながちおかしな話ではないと思います。

海外子女との比較についてですが、「転勤で海外へ渡航する子女」の多くは、経済的に恵まれた家庭にあるのが、 むしろ一般的ではないかと思います。そういう方々が、「住み慣れた土地や友人や恋人との別れを経験し、 新しい土地で多くの体験と出会いを通して人間的成長をとげ」るというのは、仰るとおりです。

ただ、今回のケースで、そのような一般論が当てはまりますでしょうか。
むしろ、比較するとすれば、『犯罪を犯した両親が子供を連れて国外逃亡を図るケース』と比較するのが、 実態に即しているような気がいたします。

そのようなケースであれば、『子の福祉』の観点からは、むしろ出国を止めるべきだと思いますが、いかがでしょうか。

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☆強制送還の問題について(その2)★

色々な建設的ご意見を頂戴しております。
なかなか難しい問題ではありますが、率直な意見交換ができて、大変刺激になっております。議論の続きです。

(コメント3)

「一度認めたら最後、それを良い事に次から次に同じ事をする不法入国・不法残留者が出てきますよね?(実際すでに出てきていますが) いい例がアメリカです。不法残留目的に渡航、在留目的の為にわざわざ日本で子供を産み、 そして検挙されればそれをダシに在留資格を得ようとする。仮に子供の在留が認められれば、親は強制送還後再度の渡航手続き、 お得意の人道上と言う観点からビザが下りることでしょう。そして、堂々と日本で就労をする。 悪い事でもやった者勝ちの様なことだと思いませんか?こんなことが起きたらそれこそ元の木阿弥ですよね?制度の悪用以外ないと思いますよ。 「親の因果子に報い」や「因果応報」では無いですが、家族全員強制送還こそが法治国家の本来あるべき姿ではないでしょうか?それに、 そうする事によって模倣犯の予防にも繋がると思いますしね。子供の福祉も大切ですが、それ以前の問題なのだと思います。」

(私の回答)

「一度認めたら最後、それを良い事に次から次に同じ事をする不法入国・不法残留者が出てきますよね」

この点につきましては、私も同意いたします。だからこそ、下手に情に流されずに、不法入国をした両親を即刻、 強制送還すべきことに反対はいたしませんし、むしろ、そうすべきだと思います。

ただ、私が問題としているのは、あくまでも子供の福祉の観点、その一点です。子供には何の責任もありません。

犯罪者の子であったとしても、外国人であったとしても、大人が子供の福祉を最大限配慮すべきは、当然のことだと思います。

また、「親は強制送還後再度の渡航手続き、お得意の人道上と言う観点からビザが下りることでしょう。」という点については、 おっしゃるとおり、そのような運用がなされる可能性はないとは言えないでしょう。

しかしながら、そのような運用については、私はすべきではないと考えますし、入管がもしそんなことをやろうとするのであれば、 それについては、断固反対いたします。

「模倣犯の予防」ということについて言えば、不法入国をすれば、自らの子供と離ればなれになってしまうという点だけでも、 それなりの効果はあるとは思います。

私も子供をダシに使って、不法入国・残留を正当化しようとする活動自体は、全く支持しておりませし、そのような活動には、 怒りすら覚えます。

その意味では、それほど、考え方に違いがあるようには思えませんが、いかがでしょうか。

(コメント4)

そもそもなぜ、子供を親から引き離してまで日本で暮らさせることが福祉上望ましいと考えているのですか?

比国南部の政情不安はともかく、政治亡命せねばならぬような弾圧国家ではありませんし、マニラ周辺には日本語学校も多数ありますし、 高等教育機関もあります。

まさか住み慣れた土地や学校の友人との人間関係のことを言ってるのではないでしょうね。
もしそんな話なら、やはり特別扱いが過ぎるとしか思えません。

繰り返しますが転勤で海外へ渡航する子女は多数います。彼らは住み慣れた土地や友人や恋人との別れを経験し、 新しい土地で多くの体験と出会いを通して人間的成長をとげています。

そうした多くの海外渡航子女は福祉上望ましくない状態にあるとお考えですか?

彼らは法的に可能だからといって現実的には簡単に帰国できません。その原因がたとえば経済的な問題であれば「福祉上望ましいから」 政府は帰国して一人暮らしするための資金を提供するべきとお考えですか?
ほかのあらゆるケースについても「福祉上望ましいから」政府があらゆるサポートをして回る必要がありますか?

福祉は打ち出の小槌ではないし、今回のケースは一種の前例となりかねない政治的危うさをはらんでいます。 その上であえてイレギュラーな運用を求めるほどの特別かわいそうな事例とは、とても思えません。

(多くの海外子女(なんだったら国内の引越しも)と比較して)一体どんな特別なカワイソウ現象が本件の子女にあるのか、 どうか教えていただけませんか。

(私の回答)

「そもそもなぜ、子供を親から引き離してまで日本で暮らさせることが福祉上望ましいと考えているのですか?」

この点につきましては、私は、何が何でも、日本に滞在させるべきだとは、申し上げておりません。あくまでも、 『親元を離れて暮らすことが可能であり、子の福祉の観点からも、そうすべきだというような場合』には、という限定付きの話です。

入管なり法務省が、子の福祉の観点から、総合的に判断して、強制退去がベストの方法であると自信を持って言えるのであれば、 それも一つの選択肢でしょう。というより、むしろそうすべきです。

ただ、そこまできちんと考えた上での結論であるとは思えません。単に、事なかれ主義で、 強制送還を決めたのではないかと見えてしまうから、意見を申し上げているわけです。

だからこそ、逆に、国民の世論がある種のマスコミに誘導されて、その結果として、『政治的圧力で個別事例ごとに、 事なかれ主義でその場をしのいでいくというやり方』がとられてしまうことには、非常なる危惧感を有しております。

入管なり法務省も、はっきりと、「子供の利益の観点からも強制送還が妥当であると判断した」と言えば、私も納得いたします。

高幡様が仰る「福祉は打ち出の小槌ではない」というご意見は、全く持ってその通りです。
国民の税金をどこまでつぎ込むか、それは、政策的判断です。
理想的な感情論で片付く問題ではありません。

今回のケースでも、日本国が、この子の養育についても責任を負うべきだとは思いませんし、そうすべきではないとも思います。

だからこそ、『きちんとした養育をできる大人がいるのであれば』という限定を付した上で意見を申し上げているわけです。

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☆強制送還の問題について★

強制送還の問題について、色々な方からコメントを頂戴いたしました。
考え方の違う方のご意見も、学ぶべき点が多くあります。
ご批判の上に、自らの意見を固めていければと思っております。

私の意見の根底は、日本人であれ、外国人であれ、何よりも優先すべきは子の福祉の観点であるということです。それ以上に、 子供を利用する政治的行為については、非常なる違和感を持っております。

コメント欄にも書いていますが、ごらんになる方が少ないので、こちらの方でも、意見交換のご紹介をさせていただきます。

(コメント1)
「法律は法律です。一度帰国し、 再度入国申請をするのが道理だと思います。大体、今まで日本に住み教育を受けただけでも幸せなのではないでしょうか?いずれにせよ、 全員の早期送還が妥当だと思います。」

(私の回答)
「私は、そうは思いません。
子供には、全く責任はありませんから。

法律上は、帰国後、再度入国申請というのが原則でしょう。しかしながら、今回のようなケースにまで、法律を形式的に適用することが、 妥当だとは思えません。だからこそ、特別在留許可制度があるのではないでしょうか。

そもそも、形式的に法規を適用するのではなく、法律の範囲内で、どうにかして責任のない子供の生活を守ることができるように、 入管は知恵をだすべきだと私は思いますよ。

もちろん、不法入国をした両親まで、日本に滞在させるべきだとは思いません。両親は、法律に従い、強制送還すべきだと考えます。

私は、責任のない子供の生活を守るために、どれだけ入管が知恵を絞ったのか、単なる事なかれ主義に走っていたのではないか、 そういう疑念が正直根底にあります。」

(コメント2)

「転勤とか親の都合で海外に引っ越さざるを得ない中学生なんてごまんといますよ。
みんな日本語の通じない見知らぬ土地でがんばってます。若いうちは適応力も高いですからね。

にもかかわらず、この比人子女だけ特別扱いするのはなぜですか。 本人の責任外の事由で海外に転居せざるを得ないことに何の違いがあるのですか。

なぜ当人にはどうしようもない親の都合で海外に引っ越さなければならない数多の子供たちを守ってあげようとか言わないんですか。 彼らは本人だけでなく親にも何の違法性もないでしょう。

親の都合での海外転居はそれなりに一般的な事象であり、 当人にとってはそれとなんらかわりのない本件でイレギュラーな法的対応を求めるにはあまりに根拠が薄弱ではないですか。 正規の手続きに則っても多くの選択肢があるにもかかわらず、それを曲げろというからには相当の根拠が必要です。

ましてや本件は両親が比人ですから、基本的な比語会話は身についているはずです。条件としてはよっぽど恵まれてます。」

(私の回答)

「確かに、仰るとおり、イレギュラーな対応を求めていると言われれば、その通りです。

ですが、私は、そもそも法律の方がおかしいと考えております。

本来は、親元を離れて暮らすことが可能であり、子の福祉の観点からも、そうすべきだというような場合には、 在留許可を与えるべきだと思っています。

無論、法治国家である以上、法に従うのは当然です。ただ、法の形式的適用によって不都合が生じる場合を想定して、「特別」 の在留許可制度があるのですから、その適用によって、法に従い、在留を認めても良いのではないかと主張している訳です。

子の福祉を最優先に考えるというのは、日本人の子供に限らず、外国人の子供であろうとも同じです。

入管や法務省が、どこまで、子の福祉の観点を考慮にいれたのかについて、非常に疑問をもっております。

もちろん、この手の運動を仕掛けている方々は、裏の政治的な陰があるような気がしてなりません。

だからこそ、子供をネタにして、親の在留まで認めろと言う主張には、かなりの違和感を感じます。

あくまで、子供の福祉の観点から、何がベストな選択であるかを、大人一般は考える必要があると私は思っています。

それと、日本人の海外転居の場合と比較をされておられますが、海外転居と強制送還では、話が全く異なります。

前者は、その気になれば日本に自由に戻ってくることが可能です。しかしながら、強制送還されてしまうと、本人が日本に入国したくても、 その道はかなり厳しくなってしまいます。

確かに、原則は強制送還、その後の入国申請という流れでしょう。しかし、それに、どれだけの時間がかかるというのでしょうか。 子供にとっての一年の重さは、大人になってからの一年とはあまりにも違いすぎます。

それに、特別在留許可制度も「正規の手続き」です。

ただ、政治的圧力で個別事例ごとに、事なかれ主義でその場をしのいでいくというやり方が、決してベストな方法であるとは思いません。」

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☆タイの混乱★

結局、司法による「クーデター」という表現がぴったりくるのかもしれません。

それにしても、副党首みずから買収行為に関わったとすれば、それはそれで、正当な民主主義に対する重大な問題であることは、 間違いありません。

ただ、政党に対する解党命令や被選挙権の停止というものは、民主主義に対する重大な影響を及ぼす効果を有するものです。

それに対する審理として、『与党側が求めた証人調べ要求を却下、受理からわずか1か月半で判決を出した。』(読売新聞社説)というのは、 あまりに拙速ではないかとは思います。

外国人がとやかく言う問題ではないですし、実際に選挙違反があったのであれば、それは許すべきではないとは思います。ただ、 制度自体は実際良く私も知りませんが、少なくとも、民選ではない裁判所が、政治に対して、強い影響力を行使し、政権を転覆させてしまうのは、 どうなのかなと違和感を感じます。

(参考)
朝日新聞社説
日経新聞社説
産経新聞社説

 

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☆タイの国民へ★

タイの状況が困惑を極めています。
私は、タイという国が大好きです。

細かいことを気にしない国民性やおおらかさ等、日本人が忘れてしまっていた感覚を教えてくれた、その意味でも、本当に感謝しています。

ただ、今回のPADの行為を黙認しているタイ政府、軍部に対しては、正直残念な気持ちを持っています。PADは、 タイの状況を熟知している人間からすれば、完全な守旧派です。

決して、革新派ではありません。
タクシン政権下で、タイの経済は発展しました。これは、事実です。

ところが、その際、守旧派の権益が阻害されることになりました。
その反動が、2006年のクーデター及び今回の不法占拠です。

日本で言うならば、急激な小泉改革に反対する道路族といった図式に近いかと思います。
ただ、日本の場合は、選挙によって国民の審判を経ます。
それが、通常の先進国の発想です。

ところが、タイの場合、守旧派が貧困層に日当を出して、人を駆り出しています。
クーデター後の選挙で、タクシン派が勝利したというのは、それが、国民の多数意思に他なりません。

それを、実力行使によって転覆しようとしているというのは、とても民主的な国家とは言えません。
しかも、政府が軍部をコントロール出来ていないのです。
軍部をコントロールできない国家程、危険な存在はありません。

タイの未来については、タイ人が決める問題です。
外国人である私がとやかく言う筋合いのものでないことは十分に承知しています。
しかし、今回は敢えてタイの国民に言いたいと思います。

あなた方が、真に先進国の仲間入りをするつもりがあるのであれば、いかなる理由があれ、PADの行動を支持すべきではありません。

「民主」主義を標榜するのであれば、自由な言論と公平な選挙によって、国家の運営を決めるべきです。今の状況は、外国人からすれば、 異様な光景に映っている、その現状は理解していただきたいと思います。

 

 

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☆タイ国際空港閉鎖★

一時、スワンナプーン国際空港が閉鎖されたようです。
朝日新聞より

これで、完全にPADは国民の支持を失ったはずです。
少なくとも、バンコクにおいて、彼らに見方をする一般人はほとんどいないでしょう。

タイは、観光立国であるとともに、東南アジアの中継貿易の拠点です。
特に資源もない国が、ここまで発展できたのは、王制の下、東南アジアで唯一政情が安定していたからに他なりません。

外国人の目から見て、政情が不安定になっていると判断されてしまえば、彼らの国の発展はありません。

前回、私は、デモ隊が首相府を占拠したと言っても、あの国の性質上、まぁ大したことはなく、単なる示威行為にすぎないから、 全く心配する必要はないと申しておりました。

実際、今も市内の治安状況が悪いとは、決して思いませんし、至って普通の生活が行われていることでしょう。

ただ、スワンナプーン国際空港が一時期とはいえ、閉鎖されたとなると、話は変わってきます。
いつ空港が閉鎖されるかも知れないと言うことになれば、安心して、入国することはできません。

今後、政府としては、対応に苦慮することになると思います。
PADは、一般市民の支持を失った暴力集団になっていますので、現状ではテロリストと判断されても仕方がないでしょう。

彼らに対して軍部が味方をするという選択肢は、いかに軍部がタクシン時代に冷遇されて、彼らがタクシンを嫌っていたとしても、 状況からはあり得ません。

かといって、軍部が動いて強制排除になるとすれば、それこそ、映像上は軍部による市民鎮圧に映ってしまいます。これでは、 ミャンマーと同じような状況と、判断されかねません。そうなれば、ますます政情不安定な国として、 外国からの投資は遠のくことになるでしょう。

現実的な方法としては、王様が登場されて、PADに対して、『君たちの行動を支持しない』と仰った上で、 今回の混乱の責任をとるという形で、ソムチャイ首相が自主的に辞任をする、これしかないのではないかと思っています。

戦前の日本でも、窮地には陛下がお言葉を発せられています。
ただし、それはわずか2回だけです。226事件の時と戦争終結の時です。

私は、国民の支持を得た王制というものは、非常事態下での事態収拾の切り札となりうるので、非常に大事なものだと思っています。

国王が独裁権をもつことは避けなければなりませんが、立憲君主制の下で、非常事態における最終的な切り札として、ご登場し、 お言葉によって事態を収拾する権能というものは、あってもよいと思っています。

戦前の日本においても、これは、誤解しているというか洗脳されているといった方が正しいのですが、 ずっと立憲君主制の国家だったのです。その証拠に、陛下がご自分のお言葉で政治に介入されたのは、わずか2回だけです。

その歴史的事実というものを、先入観なしに、きちんと学ぶ必要があると思っております。

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☆不法滞在と強制送還★

比人少女の強制送還がTBSの報道で、問題視されています。
私も、日本で生まれ育って、かつ、中学生にもなった子供を、言葉もわからない「祖国」へ強制送還するするなんて、人として許せません。

もし、自分に入管と闘うことのできる地位と力があれば、徹底的に闘いたいと思います。
(それが、できない自分自身に無力感を感じざるを得ないのですが・・・。)

とはいえ、無条件に両親も含めて、特別在留許可を出すべきだとは思いません。
なぜなら、そのようなことを、情に流されてやってしまえば、不法入国を助長することにもなりかねませんから。その意味では、 彼女の両親が強制送還されてしまうことには、私は反対はいたしません。

ただ、問題は、中学生になってしまった子供を強制送還することの是非です。
中学生にもなれば、親元から離れて暮らすことも十分に可能です。

私立中学の寮に入って生活をしている中学生なんて、沢山いますからね。
問題は、彼女が成人するまで、責任をもって育てていくことの出来る大人がいるかどうかということです。

必ずしも、養子縁組をすべきだとは思いませんが、きちんとした養育をできる大人がいるのであれば、 彼女を強制送還する必要なんてないでしょう。彼女は、何も悪いことはしていないのですから。

そもそも、マスコミで取り上げられるようになったということは、それなりの支持者がいるはずです。
そうであるならば、その支持者の方のどなたかが、彼女の養育に責任を持つべきです。

ただ単に、正義感を振りかざし、入管を叩くだけというのは、私は極めて無責任な対応だと思います。正義感に基づく活動には、 責任が伴います。責任を果たせないのであれば、軽々しく他人の批判をすべきではないと私は思っております。

 

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☆参考人招致★

田母神氏の参考人招致TV中継が行われないようです。
野党は、当初TV中継を求めていたようですが、最終的に「与野党一致して中継要請を見送った」ということです。

朝日新聞

TV中継の是非は、参考人への人権配慮から、中継を行わないという判断があっても良いとは思っています。

しかし、今回のケースでは、「田母神氏が持論を弁じることをそのまま放映されることは好ましくないなどとの判断」から見送ったということで、これは、単なる事なかれ主義にすぎません。

以前、主張したように「軍」部のトップが、在職中に政府見解と異なる認識を明らかにすることは、文民統制の見地からふさわしくないと考えています。

しかし、田母神氏は、どのような形であれ「更迭」されてしまった人物であり、もはや「軍」部のトップではありません。「更迭」という形で責任をとっています。

とすれば、いかなる発言をしようとも、単なる一私人の発言であり、政府とは無関係なはずです。

正々堂々と発言させ、議論して、政治家(野党も含む)が、論破すれば良いだけの話です。
まさか、議論すると、自分たちの方が論破されてしまうことを危惧したということではないでしょう。

とするならば、なぜそのような考え方を持つに至ったのか、そのプロセスを明らかにしていく必要はあると思います。

もし、政府見解が、軍事の専門家の立場からして、おかしいというのであれば、それを主張し国民に広く発言する機会を与えることも、民主主義の立場からすれば、あってもよいでしょう。最終的な是非は国民が判断することです。

仮に、田母神氏が、そのような考え方を持つに至ったことが、もし、広く自衛隊の教育システムの問題であるとすれば、自衛隊員のほとんどが政府見解と違う考えを、「常識」として保持し続けたままで、任務にあたっているということになります。

これは、非常にゆゆしき問題です。文民統制の意義というものを、政治家はもっと重要視すべきだと考えます。

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☆残念な思い★

私、正直申し上げて、筑紫哲也氏、大嫌いでした。

ですが、ある意味、筋が通っているというか、もし、お会いできる機会があれば、ひょっとしたら、私自身の考え方の根底から変わっていたかも知れません。

思想的には、全く逆ではありますが、影響を受けたところがあるのは事実です。
実際、影響を受けた所もありますし・・・ねぇ。

現時点では、酔っていて、まともなことは、かけませんが、一つ、あの方のエッセイの中で私の人生を変えた一節があります。

それは、朝日新聞の面接の話です。
当時、設問で、「自分の人生を変えた一冊の本」という題材があったそうです。
そのとき、あの方は、「時刻表」と答えたらしいのです。

自分は、この時刻表によって、色々な鉄道を乗り継ぎ、色々な人とと出会った、だから、私の人生を大きく変えたのはまさにこの一冊であると、学生時代に、就職活動中に言ったそうです。

普段、私は、朝日新聞も筑紫哲也氏も、思想的には大嫌いですが、この話を本で読んだ時には、なるほどなと思いました。

設問を設定する側としては、当然、そんな答えを要求している訳ではないはずです。
にも関わらず、こんな答えを書かれてしまって、それについて理路整然と回答されてしまったのでは、まさに、出題者からすれば、「やられてしまった」という感覚でしょう。

私も、そう思います。
思想的には、全く逆なのですが、本当に惜しい人材が失われてしまったと思います。

私は、思想が右であろうが左であろうが、それによって人を判断する基準は変わりません。ただ、一ついえることは、その人の言論が、自分の人生にとって参考となるか否か、その点だけです。

とにかく、一番嫌いなのは、議論する価値もない、ただ単に人の意見の受け売りを、さも自分の意見のように語っている、バカ左傾、しかも、それでいて自分がインテリ層の一員だと思っている連中、そういう連中が大嫌いなんです。

その点、若干左寄りではありましたが、筑紫哲也氏の言論には、謙虚に学ぶことが沢山ありました。本当に、心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

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☆大統領選挙★

オバマが次期大統領になることに決まりましたね。
自分には、関係ないと言えば関係ないですが・・・。

ところで、アメリカの民主党と共和党の政策、日本人には非常に誤解している人が多いように思います。実際のところ、両者がやろうとしていることには、そんなに大きな差があるわけではありません。

中絶の是非に関しては、毎回、宗教観と女性の自己決定権の尊重の立場から、真っ向から対立しますけど。
(日本でこれが、全く議論にならないこと自体、いかに日本人に宗教観が乏しいのかと毎回思うのですが・・・。)

ところで、
政策の比較(goo)
です。

政策は大きくは異ならないが、具体的な方法論が異なるというのが正しい解釈だと思います。

一般的に言われるように、確かに、民主党はいわゆるリベラル政党です。
その意味では、中低所得者向けの政策を中心に掲げているというのは、その通りです。

では、そのような政策を掲げている政党が政権をとった場合、日本として歓迎すべきでしょうか。アメリカが中低所得者向けの政策をとるということは、場合によっては、保護主義、自国主義に走る可能性もあるということを忘れてはいけません。

民主党が平和主義を掲げて、共和党よりも、戦争に反対する政党と思っている人は、アメリカの歴史を学んでください。どちらの政権のときに、なにが起こっているかを・・・。

日本の、ある意味自分がインテリの一員だと思っている左傾の人間が、オバマが大統領になって、良かったと喜んでいるのをみると、もう少し、色々学んだ方がいいんじゃないと、お節介を焼きたくもなりますね。

ホントに・・・。

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☆自衛官更迭について★

航空自衛隊のトップが更迭されました。
私の立場をはっきりさせておきますが、あの方の主張自体は、一つの論調としては、そんなにおかしな主張だとは思っておりません。

もちろん、多少の行き過ぎがあって、内容的にも同意している訳ではもちろんありませんが・・・。
そもそも、一方的に、日本のみが悪かったという歴史観自体は、大きな間違いです。

第一、通常の常識人であれば、色々な思惑が飛び交う政治、特に国際政治の中で、一方当事者のみが加害者で、 他方が被害者であるなどという歴史観自体が、少なくとも、近現代史において成立するはずもないことは、 冷静になって考え見ればわかることです。

ただ、それを前提とした上でも、今回の更迭は文民統制上、やむをえないものであったと考えております。文民統制は、 軍部の暴走を阻止するためにも、最終的決断は、軍人ではなく、民主的な選挙によって国民から選ばれた国会議員によって構成される国会、 そして、内閣および内閣総理大臣によって決定されるべきものです。

その前提を下にするならば、たとえ、とんでもない歴史を全く知りも学びもしない馬鹿な総理大臣が発言した談話であろうとも、それが、 国民によって間接的にも民主的に選ばれた内閣総理大臣の談話であり、未だ、政府がその談話を破棄していない以上、 軍部がそれに従わなければならないのは当然のことです。

文民統制は、制度上統制が出来るようになっているという形だけではなく、国民および諸外国の信頼の上でも、 きちんと運営されていること自体が信頼されていなければなりません。

いざというときには、軍部はいうことを聞かないと思われてしまったのでは、もともこもありませんし、それこそ、 日本の悪意あるマスコミなどの格好の餌食になってしまい、政策にも大きな影響を及ぼしかねません。

実際にも、影響を及ぼそうとしていますし・・・。

私は、もし政府の政策に真っ向から反する主張をするのであれば、むしろ、選挙に出て政治の世界に入るべきだと思います。

その際、マスコミは過去にそれなりの地位のあった人が選挙に出て、政府の誤った考えをただそうという意思を有しているのであれば、 批判し、あげつらうだけではなく、きちんと、政策の発表の機会を提供すべきです。

そして、その上で、国民的議論をすればよいと思います。
言論の封殺は、それが、右寄りであれ、左寄りであれ、行うべきではありません。

今回の更迭は、文民統制上やむを得なかったとは思いますが、そこまで考えずに、単に事なかれ主義で行ったとすれば、 官僚化していた旧軍部と同じ過ちを、現政権が行ってしまったと、私は判断せざるを得ません。

 

 

 

 

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☆たばこの販売★

先月、タイに行ったときに、現地で販売されているマイルドセブンを「資料」として購入してきました。
実は、あちらの国では、パッケージの半分以上のスペースを使い、 健康を害するという危険表示と当局が指定するショッキングな写真を載せることが、義務づけられているようです。

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こちらのたばこでは、歯についたやにの写真ですが、写真にも数種類ありまして、真っ黒になった肺ガン患者の肺の写真や、 肺ガンで人工呼吸器を取り付けている写真など、相当ショッキングな写真が載せられているものもあります。

実際、日本でも、このような表示を義務づけようという議論が出てきたこともあったようです。
知り合いの話によると、司法試験の問題にもなったそうです。 (~。~;)~ ほえ?

こちらの写真は、一番、おとなしい部類のものですが、実際に見た印象としては、これはたばこ会社にしてみれば、たまりませんよね。

一度、JTの葉たばこ研究所に、10年以上前に行ったことがあるのですが、そこの研究員の方なんて、 「たばこと肺ガンの因果関係は立証されていません。そのことを書いた学者は、後でその見解を撤回しています。」と、 当時はそうとう強調されていました。

また、当時は、会議室の机に灰皿がネジで固定してあるという状況でした。

まぁ、そんな、社風でしたから、こんなものを強制的に印刷させられるのは、たばこ会社としては、相当嫌なはずですよ。

私は、たばこは吸いませんので、こんな表示を強制するくらいなら、たばこ税を引き上げて、一箱1000円くらいにした方が、 余程良いとは思っていますけどね。

 

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☆靖国と遊就館★

今日、靖国神社に参拝していきました。
今の自分のような立場の人間が、いろいろなことを学ばせていただいていることを英霊に感謝を申しあげたかったからです。

ずいぶんと誤解があるようですが、靖国神社は、国の命令で戦地に赴き、心ならずも帰国することができなかった英霊を祀る施設です。それ以外のなにものでもありません。

確かに、参道脇のお店では軍歌が流れていたり、ラッパを吹いたりされている方もいらっしゃいますが、それは、それで、一つの英霊を尊ぶ方法として、個人の自由の範囲で行う限りは、周りがとやかく言うようなことでもないように思います。

靖国神社の展示施設である遊就館にしたところで、別段、戦争を美化しようなどという展示物は一切ありません。日本の建国から近世にいたるまでの武具は展示されていますが、それは、どこの国の文化施設であっても同じことです。武具は、その時代の歴史を表す貴重な遺産であることに、代わりはないはずです。

むしろ、このような武具をつけて、戦わざるを得なかった当時の時代背景や、家族と離れて戦地に向かった兵士たちの気持ちを考えると、涙が止まりません。

近世の展示には、当時の日本を取り巻く国際情勢が詳しく描かれています。当時のアジアが欧米列強の植民地となり、タイと日本を除いて、独立を維持していた国がなかったという事情が説明されています。

この展示をとらえて、日本の戦争は正しかったという歴史観を靖国神社が主張しているといっている馬鹿な輩がいるようですが、展示されている内容は、全くの事実です。

その事実をきちんと教えていないから、日本の高校生の多くが、日本と戦争をしたのは、中国と韓国であると思いこみ、また、アメリカやイギリス、オランダ、オーストラリア等の欧米と戦争をした事実を全く知りもしない、そして、理解すらできないでいるという現状があります。

断っておきますが、私は、欧米列強の植民地支配からのアジアの開放という考え自体は間違っていたとは思っておりません。ただ、その後、日本が行ったことが欧米列強と同じことをやってしまって、結果として、多くのアジアの同胞や日本国民に多大な犠牲を強いてしまったことが誤っていただけだと思っております。

アジア各国が独立を果たした段階で、欧米列強とは講話すべきだったと思っています。そうすれば、なにも、学問の半ばで多くの若者が戦地に赴くこともなかったはずです。

遊就館には、回天の実物大模型が展示されています。あの狭い窓のない「箱」の中で、何を思い、そして、何を考え、敵艦に向かっていったのか、彼らの守ろうと考えた平和で理想の世界を作りあげていくのは、現在に生きる我々の責務です。

どんなにつらく大変なことに直面したとしても、彼らの尊い犠牲を思えば、平和なこの日本で暮らしていけることに、心から感謝しなければならないと、改めて靖国神社を参拝して思った次第です。

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☆バンコク非常事態宣言★

タイの首都バンコクで、非常事態宣言が出されたようです。
あちらの状況がある程度分かっている人間からすれば、「非常事態宣言」という言葉から連想される状態と現実とはかなり違っているように思います。

日本で言えば、日比谷公園に数万人の労働者が集まって、霞ヶ関を集団で糾弾しているような状況だと考えれば良いのではないでしょうか。その際、政治的信条のことなる右翼団体と労働者がぶつかって、小競り合いが生じてしまった、そんな状況に近いと思います。

タイにはクーデター後にも行きましたが、そのときでも、街中は至って平穏そのもの、決して、戦車や装甲車が街中を闊歩しているような状況ではありませんでした。

そもそも、タイの国民は、王政を絶対的に支持しています。今回、首相府を占拠している人たちの服装を見てみれば、みな黄色の服装をしていますが、これは、国王を称えている証拠です。

最終的には、王様が何らかの形で、お言葉を発して事態を平穏に収めるのではないかと思っております。

王様の存在は、錦の御旗ですから、王様の意向に反する行為には、大義名分がなくなります。その場合、国民の支持も一切なくなりますから、集団も解散せざるを得ないでしょう。

また、王様が軍の強制排除を肯定するとは思えません。となれば、議会を解散して総選挙という形で、解決するのではないかと思っています。

立憲君主制における国王の存在は、革命に対する最後の砦として、極めて重要であると考えています。

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☆靖国参拝★

今日は、8月15日終戦記念日です。
毎年、この時期になると、どの閣僚が参拝したかどうかなどという、実にくだらない報道がなされます。

戦没者を祀る唯一の施設に、閣僚が参拝することに、一体何の問題があるというのでしょうか。靖国に閣僚が参拝すると、中国や韓国が反発するから、やめるべきだとの意見があります。

しかし、この問題は完全に国内問題です。
他国からとやかく言われる筋合いの話ではありません。

一度冷静になって考えていただきたいと思います。
例えば、仮に、私の祖父が多くの人々を惨殺した殺人者であったとしましょう。
その結果、祖父がその罪を問われて、処刑された場合を考えていただきたい。

この場合、社会的に、どんなに祖父が非難されるような人物であったとしても、私にとっては唯一無二の祖父です。
その祖父の命日に、自宅で、私を始めとする家族が、仏壇に手を合わせ冥福を祈ることに、他者が口を挟むことなどできましょうか。或いは、墓参りをすることを妨害することが許されますか。

もちろん、祖父の祀り方について、家族内で議論することはあるでしょう。その中で、仮に、私の弟が自分は祖父には手を合わせたくはない、犯した罪の大きさを考えれば、兄貴も親父も手を合わせるべきではないと主張したとすれば、それは、家族内の問題として、議論すれば良いことだと思います。

被害者の家族が、私の家の中の事情、しかも、先祖をどのように祀るかという極めて精神領域の問題にまで、口を挟むことは、いかに祖父が極悪人であったとしても、許されることではありません。

家を国家と考えれば、総理大臣は家長です。その家長が、仮に、対外的には極悪人であるとされている祖先を、家庭内で家族を代表して祀る、それ行為をやめろと他人が主張することは、普通に考えると、やはりおかしいのではないでしょうか。


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☆インドでの代理出産★

『<代理出産>女児は無国籍児 出生届の母親欄が「不明」に』との記事が毎日新聞に出ていました。

私は、以前ブログでも書いたことがありますが、代理出産には一貫して反対の意見を有しております。

☆代理母に関して★

☆代理母に関して2★

その上で、今回のケースについて、私の考えを述べさせて頂きます。

まず、今回のケースは、そもそも、不妊に悩む夫婦が、やむをえずに代理出産を依頼したというケースではありません。その上、 代理母が途上国の女性という倫理上の問題点もあります。

金銭の授受を伴い、それも、先進国の人間が途上国の女性を代理母として「利用」したことということは、 女性機能の売買を行ったと評価されても、それを明確に否定することはできないでしょう。

しかも、「男として子どもが欲しかった」「独身でも代理出産を頼めないか」などと発言していることからして(特に『男として』 『独身でも』という発言)、この人にとって、女性という存在は、一体何だったのだろうかと疑念を持たざるを得ません。

実際、詳しい事情は分かりませんが、ひょっとしたら、交際相手の女性が子供を産むことが困難な体で、その為、 結婚を躊躇していたという事情があったのかも知れません。

それにしても、まだ、男性は40代ですし、配偶者の方も41歳ということであれば、 まだまだ不妊治療をする余地はあったのではないかと思います。だとすれば、もっと時間をかけて夫婦で話し合いをすべきで、いきなり、 代理出産へと向かってしまったことは、あまりにも稚拙であった言わざるを得ません。

 

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☆日韓政府の対応★

一体、どちらの国が竹島を現実的に支配しているのだか分かりません。
支配している側が、冷静に対処し、不当な支配を争う側が、声高に国際世論に訴える、それが通常です。

現実的に支配している側が騒げば、それだけ問題を大きくして、自らの実行支配の正当性を揺るがすことになります。

実際、アメリカが竹島表記を「主権未確定」に変更したのは、両国間の争いに巻き込まれることを避けるためでしょう。

もし、このまま、日本と韓国が竹島の領有権について争うとなると、第三国としては、 国際的に中立の機関である国際司法裁判所で審理することを、推進するようになるかもしれません。

そのとき、韓国は、どんな対応をするのでしょうか。国連の事務総長は、韓国人ですよ。国際機関は、 信用できないとでも言うのでしょうか。

どのような形にせよ、騒げば騒ぐだけ、韓国には不利になります。日本としては、むしろ、騒ぎを大きくした方が、メリットがあります。

韓国の首相が、竹島を訪問するとのことです。日本政府は、黙って指をくわえているつもりなのでしょうか。

韓国の首相が、竹島を訪問するのであれば、少なくとも、日本の防衛大臣は、イージス艦に乗船して、ぎりぎりの場所から、 その様子を伺うことくらいはすべきです。

そして、韓国国内が反発するのであれば、日本政府として、国際社会に訴える方法をとるのが、 本気で領土を取り返そうとする国家としての姿勢ではないかと思います。

 


 

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☆民間交流と政治★

7月27日付けの朝日新聞に、『竹島問題、交流に影 韓国、子どもの訪問中止次々』という記事が出ていました。

『日本政府が中学校の学習指導要領の解説書に初めて竹島領有問題を盛り込んだことに韓国側が反発し、訪問の中止や延期を求めている』という内容の記事です。

私も、かなり昔に経験したことがあるのですが、実際、当事者の立場から「こんな時期に、政治家がもめるようなことをしやがって」と日本の政治家に対して、怒りを感じたこともありました。

しかし、冷静になって考えると、悪いのは日本政府ではなくて、政治問題を民間交流に絡めてくる相手国の側です。

もし、当事者の率直な感覚のまま、日本の政治家の方を批判してしまうとすれば、それこそ、本来、非難されるべき政治問題を民間交流に絡めてくる相手国の思うつぼになってしまいます。

民間交流を促進しようと、真剣に考えるのであれば、民間交流と政治問題は別であると相手側に主張し、相手側の翻意を促す努力をしなければなりません。

そうでなければ、すべての交流が政治絡みとなることを追認してしまうことになります。

この問題を記事にすることによって、日本で真剣に民間交流を促進しようとしている人たちの怒りの矛先を、日本の政治家に向けようとする意図が仮に朝日新聞にあるとすれば、それこそ、真の意味での民間交流を阻害する行為に他なりません。

真の意味での交流は、相手方の主張をそのまま受け入れることではなく、意見の違いをぶつけ合い、そして、分かり合うことが何よりも必要な事だと思います。

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☆日弁連の提言★

日本経済新聞 社説 7月24日

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080723AS1K2300323072008.html

朝日新聞 社説 7月22日

http://www.asahi.com/paper/editorial20080722.html

双方の社説ともに、日弁連の提言に対して批判的な内容となっています。
そもそも、法曹三者が合意した内容を否定するような提言を行うこと自体おかしな話です。

その理由というものも、「司法試験合格者の質が増員とともに低下する」ということなのですが、そもそも、未だ三回しか試験が行われておらず、また、弁護士としてデビューしたしたのも、第一回新司法試験の合格者1000名程度しかいない状態で、何故、「質」が低下したといえるのでしょうか。

自分たちが苦労して合格した頃よりも、格段に簡単な試験に合格しただけで、同じ「弁護士」と名乗ることが許せないという単なる感情的な反発にすぎないのではないかと勘ぐりたくもなります。

もし、法律的素養が根本的に足りないというのであれば、法科大学院の修了をきわめて厳格に運用していくか、または、司法研修所の修了認定を厳しくしていけば十分です。

確かに、現状の法科大学院の修了は甘すぎると思います。本来、修了認定はその大学院が、法律家として十分な実力を有していると認定したからこそ、できるものであるはずです。それにも関わらず、修了生の一割も司法試験に合格できないというのでは、端から見ていて一体どんな認定をしたのかと疑いたくもなります。

このあたりの運用を改善していく必要性があることは否定いたしません。

しかし、だからといって、一旦合意したことを、事情の変更がないにもかかわらず、反故にしようという主張には、やはり同意することはできません。

そもそも、弁護士の「質」というものは、法律的知識に加えて一般社会の常識というものを加味して初めて判断できるものです。今までの、弁護士に一般社会の常識というものが備わっていたといえるかといえば、私は、相当な疑問があります。

企業の法務担当者と話してみると、「あの人たちは、期日を全く守らない」という話がよく出てきます。
期日を守らなければ、通常の取引では、次から取引をしないのが当たり前です。

その当たり前の話が、この業界では通用しないのですから。
この点について、弁護士の方と話す機会がありましたので、以前、聞いたことがあります。

すると、返ってきたのが、「どうしてもと頼まれたからやっているだけで、手に負えないくらい仕事を抱えているのだから、それは仕方がない。」という答えです。

期日の厳守は、企業取引では生命線です。頼まれて仕方なくやっているのだから、守れなくても仕方がないということが、いかにおかしな話かは、医療の現場にたとえてみれば、一目瞭然です。

現在の産科、小児科医の絶対的不足の中、日勤から当直にそのまま入った医師が、仮に医療事故を起こしたとしましょう。その場合に、医師が「どうしてもと頼まれたからやっているだけで、手に負えないくらい仕事を抱えているのだから、それは仕方がない。」と答えたら、弁護士の先生方は、どんな反応を示すでしょうか。

(もっとも、そんな言い訳をする医師などいるわけもありませんが・・・)

その時の弁護士の反応が、一般社会の常識というものです。
一般社会の常識が、自分たちのムラ社会の中では、全く通用しなくなっている、それが今までの問題点でもあったのです。

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☆「領有」表現の回避★

7月13日付け読売新聞に、『竹島「領有」表現避ける、韓国に配慮…学習指導要領解説書』の記事が出ていました。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080712-OYT1T00807.htm

どうも、『韓国側への配慮を示す方向で最終調整に入った』ということのようです。
呆れてものが言えません。

この国の政治家は一体領土というものを何だと思っているのでしょうか。

そもそも、竹島は、韓国が実行支配している領土です。
相手国が実行支配している状態で、日本が国際司法裁判所へ提訴するという方法をとろうとすれば、竹島問題を『紛争』 状態にする必要があります。

両国間に話し合いでは解決できない『紛争』があって、それを解決するために国際司法裁判所の判断を仰ごうというのが、 基本的な流れのはずです。

これを、相手国へ「配慮」するなどということは、自らその手段を絶つ行為にほかなりません。

通常、実行支配している国は、「領土問題などない」「紛争など存在しない」と主張します。それは、 そうしないと第三国の干渉を招くからです。

韓国は、国民全体でわざわざ「紛争」状態にしてくれているのです。
本気で領土問題を解決するつもりがあるのであれば、一時的な両国関係の悪化は不可避ですし、むしろ当然のことです。

それをしなければ、相手方の実行支配する領土を取り戻すことなどできません。

今回の日本の政治家の声を聞いていると、領土問題を解決する気など全くないということがよくわかりました。

 

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☆参入規制★

日本経済新聞の社説に、「タクシー規制強化は疑問だ(7/8) 」との主張が記載されていました。

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080707AS1K0700107072008.html

私も、直ちに需給調整を行うことには、反対です。
そもそも、運転者の過剰労働が問題だというのであれば、労務管理の状況を厳しく調査すべきです。

単に需給調整を行うというのでは、 それによって運転者の待遇が改善されると言うよりはむしろ既存の会社側の利益を守ることにしかならないのではないでしょうか。

実際、夜タクシーを使おうとすると、結構捕まらないことがありますし、乗り場は長蛇の列になっていることもしばしばです。

しかも、近距離だと、さすがに乗車拒否こそはしませんが、「ついてねぇなぁー」などとぶつぶつ言ったり、そこまでには至らなくても、 「客待ちに1時間まったんですよぉー。」などと愚痴をこぼす運転手は、実際にかなり存在しています。

また、道を知らない運転手も現実には存在しています。かつて、急ぎの用で文京区役所に行く必要があったときなどは、 市ヶ谷から乗ったのですが、文京区役所を知らないどころが、東京ドームの場所すらわからないという、信じられない運転手もいました。

そんな現状を考えると、安易に規制を求めるのではなく、業界にはかなり改善して頂きたいと思います。

その上で、仮に規制を行う必要があるとすれば、そのときは、業界への参入規制という形ではなく、二種免許の取得自体を厳しくし、 厳格な更新制にしてほしいと思います。少なくとも、ロンドンのタクシーのように、地理の試験程度は課してもらわないと、 安心してタクシーに乗ることすらできません。

加えて、タクシーも運転者の技能に応じて、いくつかのグレードに分けてほしいですし、また、乗り場も別にして、 だれの目にも明らかなように、区別して頂ければ非常に有り難いです。

事前規制から事後規制への流れ自体は、誤っていないと考えております。

 

 

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☆外国人看護師の受け入れ★

外国人看護師の受け入れがようやく始まるようです。
少子高齢化の状況にもかかわらず、介護・看護の領域においてはかねてより、労働力不足が深刻な問題とされてきました。

労働力不足を解消するための手段として、外国人看護師の受け入れは、非常に期待されているところです。今回の受け入れは、EPA協定に基づくものですが、外国人看護師の受け入れについては、経団連の主張と看護協会の主張とが真っ向から対立しています。

両者の主張を簡潔にまとめると次のようになります。

1.経団連の主張
    ・海外の看護師資格者に対する国家試験の受験資格の緩和・見直しを行う
    ・短期間の研修としての就労のみ認められるという制限を早急に撤廃すべき

2.看護協会の主張
    ・日本の看護師免許を取得することが条件
    ・十分な日本語の能力を有すること
    ・日本人看護師と同等以上の条件で雇用
    ・看護師免許の相互承認は認めない

これに対して、日本とフィリピンとの間で締結された日比経済連携協定の内容は、次の通りです。

    ・国際厚生事業団(JICWELS)を唯一のあっせん機関とする。
    ・受入施設で就労しながら国家試験の合格を目指した研修を行う。
     (但し、フィリピンでの看護師資格を有した者に限る。)
    ・在留期間は資格取得前3年。不合格の場合には、帰国。
    ・合格後は在留期間3年。但し、更新回数の制限はなし。

何か両者の間をとったような内容になっています。
とはいえ、利害の対立する問題を解決する為の最初の導入としては、多少はやむを得ないのではないかとも思います。

ただそうは言っても、やはり問題点があることは否定できません。特に、来日後3年以内の資格取得が在留更新の条件となっていますが、これは、現実的には極めて高いハードルです。

確かに、看護師の国家試験の合格率は非常に高いものがあります。しかし、それはあくまでも対象が日本人だからです。外国人であっても、日本語で試験を受験しなければなりません。

そもそも、看護学校の就業年数自体が3年ですから、英語で受験できるようになるのであればともかく、日本に来て3年以内に漢字を含む日本語で試験を受験し、かつ合格するというのは、至難の業です。

私は、せめて英語での受験を認めるべきだと考えています。このような意見に対し、看護協会は、看護業務はチームとしての業務であるため、意思疎通が極めて重要であると主張しているようです。

確かに、そのような側面があることは否定しませんが、逆に英語ができる看護師のニーズというものもあるのではないかと思います。例えば、これだけ多くの外国人が来日し滞在している以上、外国人向けの病院というものもあっても良いのではないかと思います。

現実にも、留学経験があり、英語が堪能な日本人医師は非常に多く存在しています。とすれば、英語が出来る医師と外国人看護師からなる病院があってもよさそうなものです。

看護協会の主張するように、コミュニケーションを問題とするのであれば、むしろ日本人看護師の方に英語を学んでコミュニケーションがとれるようにするというのも一つの方法でしょう。

コミュニケーションの問題は、非常に容体の急変が予測されるような分野、救急であるとか産科、小児科のような領域では、日本人と同様のコミュニケーションがとれないと危険性があるというのは、確かにその通りだと思います。

ただ、それは、資格取得後の人員配置や採用において考慮すればよいことであって、なにも資格取得段階で制限する理由とはならないのではないかと考えます。

またその他にも、今回の受け入れについては、やはり問題点が存在しています。その一つに、あまり言われておりませんが、外国人労働者の日本に対する過剰な期待をあげることができます。

外国人看護師は、来日の時点では看護助手としての扱いになります。とすると、給与水準としては、高卒の新卒学生程度とならざるを得ません。この場合の給与は、16万円から20万円程度でしょう。

フィリピンの看護師の給与については、私は存じ上げておりませんが、タイの看護師の給与で考えると、大体日本円で4万円から5万円程度になるかと思います。この場合、日本での給与は、3倍以上ですので、魅力的な金額かも知れません。

しかし、日本での生活には多くのお金が必要になりますし、また、家族への仕送りの必要もあるでしょう。そうなると、生活レベルは、極めて低いものにならざるをえません。そのうえ、日本でのサポート体制がきちんとしていなければ、食文化や生活洋式の違いにとまどうこともあるのではないかと思います。

もし、その違いにとまどい、また、日本人の中にあるアジア系の人々に対する潜在的な差別意識に接した場合、日本に対してどのような印象を持つでしょうか。場合によっては、日本に対する嫌悪感すら抱きかねないと思います。

また、特にインドネシアからの受け入れの場合、イスラムについてきちんと理解している日本人がどれほどいると言えるのでしょうか。その場合の、軋轢には計り知れないものがありえます。

私は、外国人看護師の受け入れは急務の課題であると考えておりますが、そのためには、まずはきちんとした受け入れ態勢が必要だと思います。この問題を利害の対立する両当事者の間の妥協で安易に片付けてしまうことに、非常な危惧感を覚えずにはいられないのです。

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☆スーダンPKO★

7月1日付けの朝日新聞の社説に、『スーダンPKO―腰が引けすぎていないか』とありました。

http://www.asahi.com/paper/editorial20080701.html

私も、それほど、反対するものではないのですが、正直申し上げて朝日新聞がこのようにいうのには、違和感を覚えます。

そもそも、朝日新聞は、PKO関連法案には一貫して反対していた新聞社です。
そうであるならば、一度、自分たちの主張の間違いを明確にして頂きたいと思います。

自分たちが声高に主張していたことを、いつの間にか引っ込めてしまうというのでは、発言に信頼を持つことはできません。

もちろん、時代の変遷に伴い、主張が変わること自体は否定致しませんが、そうであるとしても、なぜ変わったのか、 当時の状況と現在の状況とにおいて、どこが異なっているのかという点を明確にしなければ、全く主張を信頼することはできません。

15年以上前のあの反対キャンペーンは一体何だったのか、単なる世論迎合であったとすれば、デマゴーグのそしりは免れないと思います。

 

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☆諫早湾干拓判決★

判決の中に、「農業生産が漁業被害に優越する理由はない」とされているようですが、このような言い方を裁判所が行うことが、妥当であるかについて疑問があります。
まだ、判決をきちんと読んだわけではないので、詳細は把握しておりませんが、新聞報道を前提に意見を述べさせて頂きます。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080628-OYT1T00771.htm

本件訴訟の被告は、国です。
ただ、実質的に不利益を被るのは、入植した農家です。
農家の利益と漁民の利益が対立しているという構図でもあります。

とすると、両者の被る具体的な利益を衡量した上で、結論づけないといけない問題ではないかと思います。

干拓地は、干拓が完了したからといってすぐに農業ができるようになるものではありません。淡水化によって、徐々に塩分を抜いていかないと、そもそも作物は育ちません。

その過程において、農家は、いかなる種目の作物をどれだけ作付けをするかということについて、創意工夫し、非常な努力を行うわけです。

その農家の努力を一言で、「農業生産が漁業被害に優越する理由はない」と片づけられてしまっては、「農家の立つ瀬」はありません。

このような論法が成り立つのであれば、一言で『特定地域における「農業生産が」国民全体の利益「に優越する理由はない」』とも言えることになってしまいます。はたしてこの文言を成田でも言えるのでしょうか。

成田空港の問題は、もし自分が当時の農民の立場であったとしたら、絶対に反対しているでしょうし、相当な活動を行っていたであろうと思います。非常に困難な状態で理想的な農業を目指し入植し開墾してようやく軌道に乗り始めた矢先に、国から一方的に土地を取り上げられたわけですから。(ただ、現在の状況下で、活動を行うことに対しては、全く賛同はいたしませんが・・・。 )

今回の開門命令も、農家の不利益を単純に切って捨てているという点では、成田と同じ過ちを犯すことにもなりかねません。

実質的に利益の対立する当事者の具体的不利益を、冷静且つ客観的に検討して頂きたいと思います。

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☆諫早湾干拓(防災、交通の側面)★

諫早湾干拓事業による防災上の利点も見過ごすことはできません。
長崎県は、非常に雨の多いところで、長年水害に悩まされてきていた地域です。

特に、諫早湾は形がデルタ上になっており、高潮の被害も多大なものでした。
この干拓事業により、高潮の被害から解放されるという地域住民のメリットは否定できません。

とすると、地域住民が水害から解放される為に公共事業を行う、これ自体なんら非難されるべきものではないはずです。

都会でも水害対策にどれだけの費用を使っているというのでしょうか。環七の地下に広大な遊水路を建設しているではないですか。都会では人口が多く、被害が甚大だからかまわないけれども、田舎ではその必要がないとでもいうのでしょうか。

確かに、被害を被る人の数によって優先順位が異なるというのは、ある意味、効果的な税金の使用という観点からは、当然の事なのかも知れません。しかし、本件では、防災の為だけに建設したのではなく、農業基盤の維持という国民全体の利益につながる事業に付随した利益として考慮されたものです。

決して、優先順位が低いとは言えません。また、堤防上には、道路が造られますから、これによって交通ネットワークの整備も図られることになります。

干拓事業には、メリットがあるのです。ただ、その費用として、どこまでかけるべきかは高度に政治的な問題として、判断せざるを得ないとは思います。

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☆諫早湾干拓(農地の必要性)★

開門調査を命ずる判決が、佐賀地裁で出ました。
諫早湾干拓事業は、『無駄な公共事業』の代名詞のように使われております。

私自身、費用を押さえることができれば、決して無駄な公共事業だとは考えておりません。そもそも、『無駄な公共事業』 と主張している人たちは、どれだけの内容を理解した上で、声高に無駄だと主張しているのでしょうか。

もし単純に、離農者が多い状況でかつ耕作放棄地が多いにもかかわらず、 このご時世に農地を作る必要があるのかという程度のことであれば、きちんと調べた上で批判して頂きたいと思います。

離農者が多いのは、高齢の為、農業ができなくなるケースが多いからですし、また、耕作放棄地の多くは、 機械化及び大規模化が困難な中山間地の農地です。

日本には平野が少なく、広大な農地はあまり存在していません。その為、機械化自体が困難で、 農業自体の経営効率の向上が遅れていました。

実際、日本の農業が衰退しているのは事実ですが、大規模な農地を有する北海道では、農業が産業そして観光資源として、 確立されております。

ようするに広大な農地で大規模経営ができれば、日本においても農業は産業として立派に成立するのです。よくフランスが、 農業国として成功している国として紹介されますが、それは、国土こそ日本とあまり変わりがありませんが、平野の面積が全く違うのです。

日本は、国土の8割が山間部で平野は2割にすぎません。そもそも、日本には大規模な農業を行う為の用地が潜在的に不足しているのです。

大規模な農地がないから経営の効率化がはかれない、また優良な農地がないから、新規に農業に参入することもできない、 それが日本の農業を衰退させている一つの要因になっています。

5年から10年のうちに、高齢の為、離農する農家が爆発的に増加します。日本の食物自給率はカロリーベースで3割を切っていますし、 しかも、大豆、トウモロコシ、ジャガイモ等の価格高騰がそれに追い打ちをかけています。

優良かつ広大な農地の確保、これは現在の私たちにとっても、急務の課題なのです。


 

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☆医師不足★

本日の新聞に、『医学部定員増「過去最大水準に」 骨太08、閣議決定へ』という記事が載っていました。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200806260301.html

医師が不足しているから、定員を増やそうというのは、別に間違った政策とは思いませんが、結果がでるのは15年以上も先の話です。医学部を卒業すれば、直ちに医師として使えるかというと、そんなことは決してありません。

特に、外科系の領域はある程度の経験が要求されますので、一般には10年くらいの臨床経験がないと使い物にならないとすら言われています。

医師数が増えたからと言って、それで解決と考えているのだとすれば、旧陸軍の上層部が赤紙で集めただけの新兵を、数字の上でそのまま兵力として計算し、作戦を立てたのと同じ過ちを犯すことにもなりかねません。

そもそも現状における最大の問題点は、医師の偏在化の方です。
科によっては、社会的に必要とされる数を満たしていない領域が多く存在しています。
それは、ご承知の通り、産科や小児科、救急といった分野です。

医師の立場に立ってみれば、このような現象が生じるのは当たり前というか当然という気も致します。
深夜においても、突然の様態の変化に対応しなければなりませんし、しかも、訴訟リスクも高いと来ています。
それでいて、給与が他の科に比べて高いかと言えば、そんなことはありません。

特に総合病院などでは、特定の科に勤務する医師のみの給料を上げることに対して、相当な抵抗があるのも事実です。
結局は、横並びにならざるを得ません。

給料はほとんど変わらない上に、激務かつ訴訟リスクもある、誰が好きこのんで、そんな領域を目指そうと思いますか。
人間は理想だけでは動きません。困難に相応するだけのインセンティブがない限り、この偏在化の問題は避けて通ることは出来ないのです。

給料を上げることが、種々の要因から困難であるのだとすれば、少なくとも訴訟リスクを回避するような手だてを国は講じるべきです。

必死の救命にも関わらず、不幸な結果が生じてしまった、その場合、一番つらく苦しいのはご本人でありご家族であることは間違いのない事実でしょう。しかし、診療にあたった医師も、ひょっとしたら自ら力不足の為に、そのような結果が生じてしまったのではないかと、精神的に自分自身を責めざるを得ないと思います。

そのような医師に対して、ご本人やご家族が責任を問いたくなるのは致し方ないとしても、国や行政が、医師の側に対しどれだけのケアを行っているというのでしょうか。不幸な結果が生じれば、警察が来る、弁護士が来る、そして、役所や裁判所からも呼び出される、その流れは医師にしてみれば、まるで自分が犯罪者にでもなった感覚でしょう。

もちろん、誰が考えても、とんでもないようなことをやって、不幸な結果が生じてしまった場合にまで、免責すべきだとは思いませんが、通常の診療行為の結果生じた不幸な結果に対しては、国や行政の側もある程度の配慮を行うべきだと思います。

そうでなければ、誰も困難な領域に進んでいこうとは思いません。
その結果、困ることになるのは、一般の国民全体なのですから。

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☆死刑の執行についての意見★

朝日新聞の見出しに、『死刑確定から執行 期間大幅短縮に鳩山法相「たまたま」』と載っておりました。

その中で、『07年までの10年間で「約8年」だった確定から執行までの期間が大幅に短縮された』とあります。

しかし、刑事訴訟法475条2項には、「(法務大臣の)命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。」とあり、 そもそも、約八年間もの期間がかかっていたことの方が、法律に違反していると言えなくもありません。

その意味では、法務大臣が裁判所の出した判決に従い、粛々と執行していくというのは、なんら責められるべきものではないはずです。

もし、法律に従って、死刑の執行命令を出した法務大臣を責めるのであれば、まずは、国会で議論して、 死刑自体を廃止するようにするのが、本来の筋であると思います。

ただ、私自身、死刑の存置については、正直悩みがあります。それは、一般的な死刑廃止論者の立場と言うより、むしろ逆で、 なんら自己の行為について反省もしていない人間を死刑にしたところで、果たして、それで良いのだろうかという単純な感覚です。

被害者の方や残されたご家族は非常に無念だと思います。死刑囚が真に自己の行った行為について反省し、自らの命をもって償おう、 それしか、被害者に対する謝罪はないと考え、執行に望むというのであれば、死刑を存置することにも意義があるのかもしれません。

しかし、全く自らの行為について反省もせず、社会が悪いと騒いでいる人間を死刑に処したところで、どれほどの意味があるのか、 その点については、正直、悩みがあります。

そんなある意味「価値のない」人間を、この世から消し去ってしまって、それですべて解決、被害者の方や残されたご家族に対して、 『死刑になって良かったですね。』と単純に言ってしまうような輩が出てきてしまうのではないかと、危惧せずにはいられません。

ただ、そうはいっても、被害者の方やそのご家族が、犯人がこの世に現に存在していること自体が耐えられない、そして、 その気持ちを幾分でも慰謝する上で、死刑の執行が必要だというのであれば、やはり、死刑を存置し、法律に従い、 粛々と執行していくことも必要ではないか、その点においては、死刑を存置する意義もあるのではないかと思います。

被害者の方やそのご家族の気持ちが、何よりも優先されるべき問題であると私は考えております。

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☆羽田からの国際線★

夜間に羽田から長距離の国際線の離発着がいずれ認められることになりそうです。
これは、非常にメリットがあります。

日本の国際線の現状はどうなっているかというと、韓国の仁川国際空港、台湾の桃園国際空港、そして、香港、上海が事実上、 ハブ空港と化してしまっています。

その理由は、簡単です。国内線から国際線への成田の乗り継ぎが悪い上に、成田を経由するルートは、 チケットが一般的に高額になってるからです。

その上、地方空港が国際空港と名乗りたいだけに、韓国便を飛ばしていますので、結果として、地方から欧州や米国へ行く場合には、 仁川経由が便利になっています。

本来、成田は首都圏の国際線需要をまかなうだけでも十分で、そもそも地方からの乗り継ぎは考えられていませんし、 地方からの乗り継ぎは、主に関西国際空港を利用してもらうという腹づもりだったように思います。

ただ、実際は、関空も国内線の便が、時間帯によってはかなり少なく、かならずしも便利とは言えません。もし、伊丹が廃止となって、 関空を中心に関西への国内線が集中したとすれば、関空をハブ空港として有効的に活用するという可能性もないではないですが、 それも実際的ではないでしょう。

すると、やはり夜間の羽田の活用は魅力的です。夜間の発着であれば、仕事が終わってからでもいけるので、 時間を効率的に利用出来ますし、また、日本中どこからでも、午後発の便で出発して、羽田での同日乗り継ぎが可能になります。

やはり、利用者の利便性ということを考えれば、羽田は日中は近距離の国際線を、夜間は、距離の制限をなくして、 長距離便を含めた運用をしていくのが一番ではないかと思います。

仮にそのような運用をしたとしても、成田は夜間は実際には運用されていませんし、昼間は羽田は国内線で一杯で、 国際線を飛ばす余裕がないのですから、共存していけるはずです。むしろ、空港間で競い合わせた方が、 利用者の利便性は増していくのではないかと思います。

 

 

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☆たまにはまともなことも・・・★

5月16日付けの朝日新聞の社説です。
http://www.asahi.com/paper/editorial20080516.html

高齢者医療について述べられています。
朝日新聞にしては、かなり珍しく、至極まともなことを言っているようです。

いつもこれくらいきちんと「筋の通った」ことを言ってくれれば良いのですが・・・。

とはいえ、「市でもなければ県でもない広域連合というのも分かりにくい。」というのには、少しばかり、異論があります。

確かに、わかりにくいのは、そうかもしれません。
ただ、市や県を単位として、医療の区域を単純に分けてしまうと、人口の偏在、道路状況、その他、病院の偏在がある為に、 現実からかけ離れた政策がとられてしまう畏れがあります。

例えば、病気になったときに、必ず同一市町村内の病院に行かれますか。
市や県を超えて、病院に行くのは、ある意味、当たり前というか、市内か否かなどを考えて、通院しないのが通常だと思います。

一般的には、そのような現実があります。この場合に、市ごとや県ごとに、自己の行政区域内を基に統計をとって、分析をしてしまうと、 現実を見誤ってしまうことにもなりかねません。

一例を挙げれば、ある市町村の特定のエリアには病院が存在していない、にも関わらず、そのエリアには、 それなりの人びとが生活しているという分析結果が得られたとします。

このエリアから一番近い病院まで、車で1時間以上かかる、これは大変だ、とその市町村では、大騒ぎになるでしょう。

やがて、病院を建設しなければ、いや、道路を整備しなければという話が、次々と・・・。

しかし、実際は、そのエリアから車で15分ほどの所には、立派な病院が存在していました。ただ、その病院は、 隣の県の別の市にあった為に、その市の統計には表れていなかったのです。

そんな馬鹿なと思われるかも知れませんが、書類に現れたデータを基に、現地の調査を行うことなく、政策を立てると、 こんな笑い話のようなことが現実に起きてしまう、それが、ある意味、この国の怖ろしいところでもあります。

 

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☆宇宙基本法★

自民、民主、公明の3党共同提出の法案が衆院内閣委員会で可決されたとのことです。
国の安全保障に関わる法案を、与野党の合意で提出、可決されたということは、健全な国のあり方だと思います。

与党が作った原案を、野党がチェックし、その行き過ぎに歯止めをかける、これが、 議会制民主主義の本来の姿ではないかと考えております。

ところで、本日の各社の社説です。

読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080510-OYT1T00176.htm

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080510/plc0805100326006-n1.htm

朝日新聞
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

読み比べて、判断してくださいね。

その上で、朝日新聞の社説ですが、

「基本法が成立すれば、自衛隊が直接衛星を持ち、衛星の能力を一気に高める道が開ける。それにとどまらず、 将来のミサイル防衛に必要な早期警戒衛星を独自に持つことができたり、様々な軍事目的での宇宙空間の利用が可能になったりする。」

はて?どこが問題なのでしょうか。(何を言いたいかはわかりますが・・・。)

「 衛星による偵察能力の強化は抑止力の向上につながるという議論もあるだろうが、 日本が新たな軍事利用に乗り出すことは周辺の国々との緊張を高めないか。巨額の開発、配備コストをどうまかなうのか。 宇宙開発が機密のベールに覆われないか。そうしたことを複合的に考える必要がある。 」

おきまりの「緊張」論です。

軍事費が2桁の伸びを示しているお隣の国や、いついかなるタイミングでミサイルを撃ち出すかわからない「国」がすぐ近くにあって、 自国だけでは、それに対処する軍事的能力を持ち得ていない国家としては、外交努力をするにせよ、正確かつ早急な情報収集は不可欠です。

しかも、そもそも、たとえ同盟国であったとしても、外国政府から情報には、その国独自の利益を考えた上で、取捨選択がなされており、 すべての情報がストレートに入ってくるわけではありません。

出す情報、出さない情報の取捨選択がなされるだけで、事態に対する分析結果が大きく異なってきます。

日本が独自に、相手方の動きを独自に早期に察知し、紛争回避の方策をとりうる、 その為にも偵察衛星は必要不可欠な存在であると言えます。

 

 

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☆衆愚政治★

民主党が後期高齢者医療制度を廃止する法案を、参議院に提出しようとしているようです。廃止するというのも、一つの方法ではあります。

政党の政策として掲げることは、結構ですし、どんどん議論してよりよい制度にしていただきたいものです。

ただ、「廃止」を主張する以上、誰の目にも明らかな国保の破綻をどうやって防ぐつもりなのか、その点は、きちんと明確にしていただきたいと思います。

月々の負担が増えた社会的弱者が多く存在している、年金からの天引きで生活が苦しくなった、高齢者の切り捨てだ等々の「感情的な」意見を、そのまま受けて、けしからん、廃止だと叫ぶのは、政権を目指す政党としては、極めて無責任なことです。

そもそも、社会保障制度は、公平性に加えて、個別事案に応じた不都合性を是正しようとすればするほど、複雑且つ分かりにくくなるものです。

一般国民が制度を理解できずに、感情的な反発をすることはある意味仕方のないことです。しかし、その国民の「無知」に乗じて、或いは、「無知」を利用して、政争の具にしようなどということは、それこそ、デマゴーグ、衆愚政治の最たるものに他なりません。

無論、この制度が完全なものとは考えておりません。ただ、大枠としての方向性としては正しいと思っております。大枠としては維持しつつも、不都合なところは、修正していく、それで制度自体をよりよいものにしていくことが、なによりも大切なことではないかと思います。

それにしても、今回の制度、5割が公費による補助、4割が現役世代からの援助、1割が高齢者の負担というのが、大枠です。

この大枠が駄目だというのであれば、一体どうしろというのでしょうか。国からの補助を増やすにせよ、現役世代からの援助を増やすにせよ、勤労世代への負担が増大することには変わりがありません。

少子高齢化の進む中、若年層への負担を増加させることが、現実的とは到底思えないのですが・・・。

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☆後期高齢者医療制度★

後期高齢者医療制度について、一部センセーショナルな報道がなされているようですが、この制度自体は、必要な制度改革であることは間違いありません。

すぐに、制度改悪と飛びつくのではなくて、もっときちんと調査して、冷静に報道してもらいたいものです。

では、なぜ、必要な制度改革であったかというと、その最大の理由は、現状のままでは国保が破綻してしまうからです。

厚生労働省のホームページを見ても、なぜ、必要であったかがぼかされていますが、必要性の最たるものはここにつきます。

高齢者の医療費が非常にかかってしまう、このことは、多くの方にもご理解いただけると思いますが、その高齢者の殆どが加入する保険が国保だったからです。

高齢化社会の下では、仕事を辞めてからも、長い人生が待っています。その間に、入る保険は、今までであれば、国保でした。しかし、高齢者の割合が増えてくると、自営業者を中心とする国保では、増え続ける高齢者を支えていくことができません。

また、国保では、市町村によって給付水準が異なっており、高齢者の割合の多い、地方農村部ほどその負担が重くなっていたという現状があります。

そこで、高齢者の医療制度を将来にわたって支えて行くために、現役世代の加入している各種健康保険からの拠出を受け、国からも、半分を拠出してもらい、そのことによって安心で地域格差のない平等な医療を受けられるようにしようというのが、本来の目的です。

決して、高齢者を切り捨てるようなものではありませんし、この制度の導入自体は、断じて間違っているものではありません。

細目的な運用の点で、問題があるのかも知れませんが、どこが問題なのか、報道機関は、やみくもにセンセーショナルな報道をするのではなく、問題点をきちんと呈示した上で、きちんと議論していただきたいと思います。

また、このような長期的な制度設計に関わる問題は、政局にするのではなく、与野党できちんと議論して、問題点を整理した上で、国民に呈示していただきたいものです。民主党自身も、この制度改革自体には、当初反対していなかったと思うのですが・・・。

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☆ネット上の情報★

ここ最近、硫化水素自殺が相次いでいます。

自殺方法がインターネットで簡単に調べられるという話が出ていましたので、一体どれくらいでその情報にアクセスすることが出来るか、試しに調べてみました。

すると、さすがにグーグルやヤフー等の検索サイトでは、直接的にはアクセス出来ないようです。

しかし、この手の情報を探すのには、検索の仕方にコツがあります。
そこで、直接的でない方法で、検索してみると、やはり情報に行き着いてしまいました。
検索を始めて、約5分です。

これは、難しい問題です。もし、完全に情報をシャットアウトしてしまうとなると、ネット上を監視して、自動的に関連情報を削除していくという方法をとらざるを得ません。しかし、それでは、憲法上保障された表現の自由に真っ向から反する事になります。

現状では、プロバイダが自主的に監視して、不適切な内容を発見した場合には、書き込んだ当事者の了承を得て削除するか、または、規約に基づき削除するしかないのが現状だと思います。

この場合、どうしてもタイムラグが生じてしまいます。また、その間に、雨後の竹の子のように出てくるものを一つづつ潰していくしかありません。

となると、やはり、情報には情報と言うことで、自殺を思いとどまらせるような情報を広げていくのが、最良の手段なのではないかと思います。

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☆人権問題の矛先★

ヨーロッパが人権問題に対して敏感なのは、ナチスの台頭を防げなかったという歴史にあります。特に、今回の抗議行動は、オリンピックがナチスの台頭を許してしまったことに対する反省もあるのではないかと思います。

とすれば、ヨーロッパ諸国(特にナチスの占領を受けたフランス)が、この問題で妥協することはあり得ません。

また、逆に、中国にとっても、チベット問題は、共産党の独裁体制を揺るがしうる大問題です。いくら国際社会が騒いだとしても、自らの正当性を揺るがすようなことをするはずがないでしょう。

とすると、膠着状態が生じてしまったら、どうするか。
当然、西洋社会に対する揺さぶりをかけるはずです。

その矛先は、無論、日本です。
いずれ、過去の「歴史」問題を、持ち出してくるでしょう。

その際、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国に対して、日本へ矛先が向くような方法を仕掛けてくるはずです。

北朝鮮に対して、日本が、拉致問題で妥協しない姿勢を示したときに、なぜか、アメリカで「慰安婦」問題が出てきたのと同じ構造です。

私は、今回は、靖国がらみだと考えています。
かつて、ヨーロッパを放浪していたとき、フランス人と議論したことがあります。

ほとんどのヨーロッパ人は、靖国神社のことは知りません。
では、知っている人は、どのような理解をしているかというと、「靖国神社は戦前のファシズムを賞賛する施設である」という理解です。

靖国神社のことを知っているフランス人は、それこそ、「靖国神社はヨーロッパで言うとネオナチの施設のようなものである。そんな象徴的な施設に、一国の宰相が参拝するなどけしからん。」という風に考えています。

これは、とんでもない誤解です。きちんとした広報活動を行ってこなかった外務省にこそ責任があります。

そんな折り、映画「靖国」に対して、国から助成金が支出されている・・・。

この映画の内容については、未だ見ておりませんので、批評は避けます。

ただ、靖国神社に対して、諸外国の人々に誤解を生じさせるようなものであるとするならば、その様なものに対して、助成金が支出されたという事実は、やはり問題だと思います。

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☆「護憲主義者」へ★

チベット問題に関して、一言。
この問題に関して、普段、平和だ、護憲だと主張している人たちの活動が全く見えてきません。

一体なぜ?
まぁ、日本の平和主義者、護憲主義者の殆どが、似非であり、ダブルスタンダードなのですから、当然といえば当然ですが・・・。

本来、護憲主義者こそ、この問題について大問題としなければならないはずです。

日本国憲法の前文には以下のような記述があります。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専従と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。」

いわゆる護憲主義者は、『自衛隊は違憲である、自衛の為であろうとも一切の戦争は行うべきではない。』と主張し、では、いかにして、国民の生命財産を守るのかという問いに対しては、この全文を根拠に、『諸国民の公正と信義に信頼して』話し合いで解決すると主張しています。

(そもそも、その結果が、今のチベットの現状なのですが・・・。)

では、『諸国民の公正と信義』とは何か、それこそが、人権に対する考え方、そのものなのです。

人権に関しては、内政干渉ということが妥当しません。確かに、一方で、このことが西洋社会の価値観の押しつけという側面がないとは言いませんが、現在の国際社会における共通の考え方になっていることは、否定できないでしょう。

国際社会は、人権問題だからこそ、理由の如何を問わず、圧力をかけることができます。
その圧力によって、他国を不法に侵略しようとする国家があった場合にも、その行為を断念させうることが可能となりうるのです。

とすれば、仮に軍隊を持たないという選択をして、国民の生命財産を守ろうと言うのであれば、人権問題については、どこの国よりも、強く国際社会で主張しなければなりません。

もし、他国で行われている人権問題に対し、見て見ぬ振りをするというのであれば、どこの国が、日本が他国から侵略された場合に、非難の声を上げるというのでしょうか。

もし、侵略する国家があったとした場合、当然、その国家は、自衛のため、或いは、国内問題と主張するでしょう。そのときに、いくらそんなことはないと言っても始まりません。その場合に、世界中が一致団結し、抗議の声をあげうるとすれば、それは、人権問題としてしかあり得ません。

本当に、護憲主義者が、『諸国民の公正と信義に信頼』するというのであれば、このチベットの人権問題に対しては、それこそ、命がけで活動を行うべきであると、私は考えます。

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☆ビラ配り判決★

本日の読売新聞の社説に「ビラ配り有罪 一つのルールが示された」と出ていました。
私も、読売新聞の社説の意見に同調します。

この事実関係をきちんと把握せず、表現の自由に対する侵害と声高に叫ぶ人間には、バランス感覚が欠如しています。

この事件では、自衛隊員の家族の暮らす官舎に、イラク派遣反対の意思表示のビラを投入したという点を、見過ごすわけにはいきません。

社説によると、『「殺すのも殺されるのも自衛官です」などと書いてあった。』とあります。

実際に派遣される自衛隊員の家族が目にした場合に受けるであろう苦痛と、 限定された場所における限定された表現方法が制限されることによって受ける不利益を、通常の感覚で比較すれば、 前者の方が大きいことは明らかです。

家族にしてみれば、遠くの外国で、現地の状況がよくわからない中、仕事に従事するであろうことを思うと、 その心配さは並大抵のことではありません。

その心配さを表現の自由の名のもとに、煽ることが許されて良いはずがありません。

心配している家族に対して、『殺す』『殺される』という文言を当てつけるなど、言語道断です。

ビラを投入した「市民」は、『心配でしょ。だから反対しましょうね。』とでも言いたかったのかも知れませんが、そんなことは、 独りよがりの、お節介、無神経以外の何ものでもないことです。

とにかく、反対することは、かまいません。ただ、それは国会であるとか、集会であるとか、 或いはインターネットを使った意思表示で行えば良いだけのことです。何も、現場に派遣される自衛隊員の家族を巻き込む必要はありません。

私は、以前から、非常に強く違和感を覚えていることがあります。

派遣が決まった自衛官は、国の命令で危険を伴う任務に就くのです。その人たちを、 国民の代表機関である国会が送り出すことに決めてしまった以上、我々国民は、暖かく尊敬の念を持って、送り出す義務があります。

もちろん、くどいようですが、反対するなと言っている訳ではありません。反対活動に、現場で危険な任務に就く、 彼らを巻き込むなと主張しているのです。反対は、国会での論戦、インターネットでの意思表示、集会、デモ、何でも行って頂いて結構です。

ただ、粛々と任務を遂行せざるを得ない隊員、ましてや、家族を巻き込み不安にさせる権利は、表現の自由と言えども、 許されるべきではない、私はそのように強く考えております。

(参考)
読売新聞社説
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080412-OYT1T00589.htm
朝日新聞社説
http://www.asahi.com/paper/editorial20080412.html


 

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☆都会の論理★

私は、地方から上京して来た人間ですが、すでに、東京に住んでいる期間の方が長くなっております。その意味では、都会の人間なのですが、長年暮らした地方の実情というのものもよく理解しております。

東京の報道を見ると、「『無駄な』道路をつくるな」の大合唱です。
そして、どういった点をとらえて、『無駄な』と主張しているのかを見てみると、利用者が少ないとか、工事費が高いとか、単純な論点ばかりを主張しています。

しかし、道路の利用者が多くて、利益が見込めるのであれば、民間企業にやらせれば良いだけの話で、その点をとらえて、道路をつくるなというのは、本来おかしな話です。

また、工事費が高いと言う点も、今、作られている道路は、整備が遅れてきた中山間地の道路が多く、当然難工事になりますから、工事費が高くなるのは、ある意味当然のことなのです。

問題は、社会基盤整備として、その道路が真に必要かどうかを、見極めることができるかどうかということです。それには、政治的に中立な立場において、科学的見地から純粋に検討していく必要があります。

それを一回現地に行って、工事の様子をカメラに収め、「こんな田舎にこんな立派な道路」などと、さも誇ったかの如く世論を煽るような報道には、非常な違和感を覚えます。

以前に、一度ブログで書いたことがありますが、東京の人は、以下の事実をきちんと把握していますか。テレビのコメンテーターの発言を見ていると、あまりに無知な発言が多く、地方の実情を全くわかっていないと批判されても仕方ないと思います。

1.地方の幹線道路は、片側1車線の追い越し禁止道路が多く、閉鎖されると直ちに陸の孤島になってしまうという現状。しかも、鉄道等の代替輸送機関は皆無であるという事情。

2.十分な路側帯もなく、片側一車線閉鎖されるだけで、緊急車両の往来に重大な支障を及ぼしている現状。しかも、救急患者に対処できる病院まで、平時ですら1時間以上もかかる現状。

「東京の渋滞は、地方の比ではない。」

これは、確かにその通りです。しかし、東京の場合は、渋滞するような時には、車を使わなければ良いだけです。電車を利用出来るのだから。

地方は、車以外の代替輸送機関が存在していないのです。利便性の観点から、渋滞が問題だととらえている都会の人間と、生活必需の観点から、渋滞の危険性を問題にしている地方の人間とは、そもそも、議論している土台が違っています。

そのあたりのことを考えずに、都内を車で移動しているような『文化人』たちに、この問題を批判する資格はないと、私は考えております。

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☆暫定税率★

今日で、暫定税率がなくなり、一時的にガソリン価格が下落することになりそうです。
ただ、この問題は、25円ガソリンが安くなるかどうかという矮小化された問題として捉えるべきではありません。

先日、首相は一般財源化を表明しました。
これは、いろいろなところで肯定的に受け取られているようですが、本来、受益者負担、税の公平という観点からすれば、一般財源化はおかしな話です。

ガソリンは、その殆どが自動車の燃料として使用されています。したがって、ガソリン税を支払う人は、自動車を利用する人ということになります。とすれば、公平という観点からすると、自動車を利用する人が自動車の利用に伴って負担した税である以上、自動車関連の予算に利用するのが、本来の筋です。

ただ、自動車関連予算とは言っても、その範囲は多岐にわたります。例えば、自動車利用に伴って、排出されるCO2削減の為の予算等に使用されることは、現在の目的税の下でも、可能でしょう。

もちろん、集められた税の使い方に問題があるということについては、私も否定はいたしません。使われ方は徹底して、追及すべきです。しかし、自動車関連予算以外に使うとなると、受益者は国民全体、負担者が自動車利用者ということになり、税の根幹である公平性に著しく反することになります。

もし、自動車関連予算として利用しないというのであれば、むしろ、暫定税率そのものを廃止し、不足分は、消費税の増税で賄うというのが筋であると思います。

大衆迎合的に、一般財源化を叫ぶことは、長期的にみて大きな問題を残す可能性があると考えております。

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☆日銀総裁人事★

民主党の「財務省出身だから同意できない」という考えには、非常な違和感を感じております。
日銀の総裁は、高度な専門的かつ政治から独立した判断を行わなければなりません。

その日銀総裁を選ぶに際して、出身母体「だけ」を問題にするというのは、総裁人事を政争の具にしているとしか言いようがありません。

官僚出身者だから、改革ができない、または信用ができないというのでは、官僚が、「奴は東大法学部出身でないから、駄目だ。」と言ったり、あるいは、吸収合併した企業内で、「奴は、○○出身だから、駄目だ。」と言っているのと、全く同じレベルの話です。

それは、まさに派閥抗争、学歴偏重主義と同じレベルの話であって、非常に困難な難局を乗り切るという自覚がありません。

今のご時世に、こんな旧世代の対立を『国権の最高機関』で行われているというのは、全くもって情けない話だと思います。

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☆僧侶の自殺★

チベットでの抗議活動についての私の意見です。
状況分析については、色々な専門家がいらっしゃるので、敢えてこちらでは述べません。

ただ、一連の報道を見て、重要なポイントだと思った点について、一言述べさせていただきます。今回の抗議活動では、「僧侶が自殺を図った」という報道がなされていました。

この点が、意外と重要なのではないかと考えています。
僧侶が自殺を図るというのは、異常な事態です。

というのも、自殺は大罪です。自殺をすれば、地獄道に堕ちます。
その後、輪廻転生を繰り返したとしても、そう容易くは人間道に戻ることはできません。
とてつもなく、長い期間、終わりのない苦しみを受け続けることになります。

これは、実際に地獄が存在するか否かとは全く関係ありません。
信仰している人間にとっては、主観が客観ですから、現実に存在しているのです。

しかも、自殺を図ったのは僧侶です。地獄道がどれほどのものか誰よりもよく理解している人たちです。

その人たちが、もし、政府に対する抗議の意味で自殺を図ったということであれば、その意味の持つ重大さと覚悟は、通常の抗議の自殺とは、遙かにレベルの異なるものです。

私たちは、その行動から、現実に起こっているであろう事態の深刻さを理解する必要があるのではないかと思います。

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☆事故時の対応★

最近、変な風潮があって、事故時に謝らなくなりましたね。

ただ、今回のことがあって、はっきりしましたが、少なくとも人身事故の場合、怪我をさせた側は、自己の過失如何に関わらず、まず、即座に、「怪我をさせてしまって申し訳ない」と謝るべきですね。

というのも、一方のみが怪我をしているケースでは、警察の調べの対象になるのは、過失の割合に関わらず、怪我をさせた側ですから。

しかも、保険会社は、身体損害については、すぐに支払う意思を明確にしてきます。それは、怪我をしている人に治療費が支払われないとなると、保険会社自身、相当社会的にも非難されるでしょうし、損害については医療機関側が判断しますので、一般には必要以上の請求がなされることはないという理由からだと思います。

保険会社が支払うという姿勢で接してきますので、この場合、怪我をした側の普通の感覚としては、自分が被害者であるという意識を強く持つのが通常です。

また、警察も、怪我をした側の過失を、それほど強くは言いにくいということもあるかと思います。

もし、この場合、謝罪もなく、自分は悪くないと言い訳し始めると、怪我をした側は、とことんやってやると怒り心頭になるのは、当然だと思います。

そうなると、やれ告訴だの賠償だのと、話がますますややこしくなってくるでしょうね。

現実的に過失割合が問題となってくるのは、物損の賠償についてですから、「怪我をさせてしまって申し訳ない」と謝罪したことが、直接的に物損の責任を認めたとして、不利になるか言えば、そんなことはありません。

しかも、自己と相手方の過失割合がどうなるかは、双方の保険会社の話し合いの結果ですし、保険でカバーされるのであれば、別に過失割合が少々自分に不利になったところで、何の実害もありません。

むしろ、現実の実害としては、業務上過失傷害で起訴されたり、示談交渉が長引いてしまうことでしょう。

それなら、謝ってしまって、怪我をした人の気持ちを穏やかにして、穏便に解決する方がどう考えても、得策だと思います。

ちなみに、今回のケースでは、未だに謝罪の言葉はありません。

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☆閣議決定の見直し(つづき)★

そもそも、「就職難が起きている」「質が低下する」ということ自体、合格者を減らす理由にはなりません。

第一、「就職難」なんてものは、合格した人間達自身の問題なのですから、周りがとやかく言うような話ではありません。また、当事者にとってみれば、「就職難」などという問題よりも、合格出来ずに路頭に迷うことの方が心配なことだと思います。

しかしながら、よくよく考えてみると、試験に合格したというだけの理由で、すべての人間が職にありついていたということの方がおかしいわけです。実際に弁護士に仕事を依頼してみればわかりますが、事実ホントに酷いのがいますからね。

たとえば、期日や時間を守らない、お金にルーズという、知らない人が聞いたら嘘だろうと思うような話を非常によく耳にします。

かつて、そのような現状について、同世代の弁護士にどう思うかと聞いたことがあります。そのとき、彼は、「頼まれて仕方なくやっているのだから、それは仕方ないだろう。」と言っていました。

その話を聞いたときに、私は唖然とした記憶があります。「できないことは、引き受けない。」「引き受けた以上、どんなことがあっても納期は守る。」これは、ビジネスの世界では、当たり前のことです。

「お客さんがどうしてもっていうから。引き受けたんだけどさぁ。価格競争が激しくて仕入れが出来なかったよ。もう少し、待ってね。」などど、販売店が言ったとしたら、許されますか。

或いは、医者が、「どうしてもって言うから手術したんだけど、ちょうど疲れていたし、僕の能力を超えていたんで、手術が少しばかりうまくいかなかったけど、許してね。」と言ったとしたら、許されますか。

仕方なくやったのであろうが何であろうが、一旦引き受けた以上、最後まで責任をもつ、通常の社会において、極めて当たり前のことが当たり前と思われていなかったというのが、ある種この業界の問題点でもあったともいえます。

それに、「就職難」とは言っても、なにをもって「就職難」と言っているのか、私には理解出来ません。仮に、就職出来なかった弁護士が、弁護士としてではなく、普通に就職活動をしてみれば、就職出来たかという視点で見てみれば、その問題点が明らかになります。

おそらく、就職出来なかった弁護士は、それ以外の職種に職を求めたとしても、就職などは出来なかったでしょう。いくら頭が仮に良かったとしても、30歳近くになって、職歴もなく、法律以外の専門知識もなく、法律も実践から離れた教科書をひたすら読んでいただけ、しかも、挨拶すらまともにできない、そんな人材をどこの企業が採用しますか。

とはいえ、弁護士という資格を有している人材が、自分の会社の正社員として働いてくれるというのであれば、喜んで雇ってくれる会社はいくらでもあります。ただし、その場合、あくまで業務命令に従う「正社員」としてです。当然、給与も通常の社員に資格手当がつく程度というのは当たり前のことです。

このあたりの事情を、職を求める弁護士は全く理解できていません。何故、『たかが』試験に合格しただけの理由で、いきなり、役員待遇を受けて当然だと考えるのか、自分は他の人々より偉いと考えることができるのか、そのあたりの意識改革をしていかないと、職は見つかりませんし、仕事も紹介してもらえません。あたりまえのことです。

また、「質が低下する」という批判は、ギルド的体質そのものです。
まず、新規参入者が増えれば、悪いものも増えます。これは、当たり前です。
問題は、その比率が著しく増えたか否かという点です。その点については、しばらくしてみないと判断ができません。

現時点で言えることは、合格者を増やした、その結果、法律的能力に問題のある弁護士が増えた、この点は、判断出来るかもしれません。

しかし、法律的能力の序列と、弁護士としての仕事の能力の序列が、かならずしも一致するかというと、私には疑問があります。まず、法律的能力がある人間であっても、そもそも、社会の一般常識すら共有できていない人が沢山いますから。

合格者を増やして、「質が低下」したと言う為には、まず第一に、「法律的能力に問題のある弁護士が増えた」といえるのか、そして、第二に「法律的能力=弁護士としての仕事の能力」といえるのかを立証しなければなりません。

それが出来ない以上、「質が低下」したというのは、古い世代が若い世代を捕まえて、「最近の若い者は・・・。」と言っていることとなんら変わりません。単なる守旧派が新興勢力に対して、反発している、所詮その程度の言動にすぎないのですから。

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☆閣議決定の見直し★

「司法試験「年3千人」見直し 法務省、合格者減も選択肢」という記事が、朝日新聞に出ていました。
http://www.asahi.com/national/update/0124/TKY200801240483.html

「就職難が起きている」「質が低下する」と言ったことが、理由らしいですね。

そもそも、合格者数の増加は、諸外国と比較して、人口あたりの弁護士数が少なすぎるという現状を打開することにあったと思います。 それなら、何を今更という気もします。

一度、閣議決定がされたものを見直すとなると、閣議決定がされた当時と現在とを比較して、事情が大きく異なったり、 国民全体のニーズに大きな変化が生じたというような事情でもなければ、安易に変更すべきではありません。

閣議決定がなされたということは、政府の長期的な方針を打ち出したということですから、それを信頼して、あるいは前提として、 法科大学院が設置されたり、司法制度改革に関わる種々の改革が現在進行形として行われている訳です。

それを一閣僚が、自分の信条に反するからと言って、早々と見直しを指示するとは、非常に理解に苦しみます。

「就職難が起きている」「質が低下する」というような事情は、閣議決定された当時も言われていたことです。 それらのある種の弊害が生じることを含めた上で、長期的には必要だと当時の政府が判断し、法的安定性を確保するために、 あえて閣議決定という形をとったのではなかったでしょうか。

そうだとすると、見直すのであれば、少なくとも閣議決定当時予測出来なかった事情が生じたことを明確にしない限り、 閣議決定自体をおこなった当時の内閣が間違いを冒したということを、公言することになります。

政権交代が行われたのであればともかく、そうでない場合に、事情の変化がないにもかかわらず、安易に政策を翻すとなると、 自民党自体の『政権担当能力』が疑われてしまうことにもなりかねません。

 

 

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☆「能力がない。」★

前回とは、ある意味、逆の話かも知れません。
才能があることを自慢する人間は馬鹿だと思いますが、もっと馬鹿なのは、才能がないのを言い訳にする人間です。

何か仕事や学問において結果を出せないときに、「私、能力がないから・・・。」と言い訳をする人がよくいますが、 それは全く言い訳になりません。言い訳にならないことを言い訳にするという事自体が、すでに無意味な事なのですが・・・。

私の師匠が、昔、よく言っておりました。
「私、能力がないから。」という奴は、本当に「能力がない。」と。

私も、師匠の言うとおりだと思います。
ある能力が欠けていると自分で自覚しているのであれば、その欠けている能力を補う為の方法を、まずもって考えるべきです。その上で、 努力して欠点を克服していく、そのプロセスを経なければ、結果は出せません。

それを、やらずに、「能力がない。」と言い訳にしたり、ましてや、他人のせいにしたりするのは、どう考えても、「能力がない。」 と評価せざるをえません。

 

 

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☆泥臭い努力★

本年度で、私の学生生活も修了になります。
まだ、期末試験が終わっていませんので、正式に修了出来るかどうかは判りませんが、修了自体は、おそらく大丈夫だと思います。

それにしても、ほぼ10数年ぶりに大学へ戻って、自分よりも遙かに若い連中と一緒に勉強をしての感想ですが、最近の若い学生は、 ホントに真面目でよく勉強しています。

私が学生の頃など、大学で真面目に講義を受けていたりすると、「頭おかしいんじゃないの?」とマジに言われていました。それが、 今の時代だと、真面目にやらないでいたりすると、「大丈夫?」と、これまたマジに言われます。

大学が真面目に勉強をする場所になったというのは、非常に健全で良いことだと思いますね。

ただ、その一方で、未だに「自分は在学中、あまり勉強しなかったけれども、試験に合格した。」というようなことを言う、 私に言わせれば、ある意味、本当の馬鹿が存在しているというのも事実です。

「勉強しなかった」ことが、なんで自慢になるのか、それが全く理解出来ません。
自分が、優秀な才能を持っていることを自慢したいのでしょうか。
もし、そうであるとすれば、しつこいようですが、そいつは本当の馬鹿です。

仮に、その人が「優秀な才能」を持っていたとしても、それは、本人が築き上げたものではありません。それは、 親から遺伝によって引き継いだか、神から頂戴したものに過ぎないのです。

いうなれば、生まれながら偶々有していたに過ぎないものを、さもすごいことのように言っているだけのことです。それは、 金持ちのボンボンが、「僕の家は、お金持ちなんだ。すごいでしょ。」と言っていることと、なんらか変わらないのですから。

私は、単に才能を有しているだけの人間は、全く評価しません。才能を有している人間が、結果を出した、その出された結果について、 賞賛し尊敬しているのです。

もし、上記の人物が、「自分は、色々な事情から、勉強する時間をどうしても確保できなかった。でも、結果を出す為に、 効率的な学習方法を研究して、人一倍努力した。その結果、どうにかこうにか合格出来た。」と言えば、尊敬しますけどね。

要するに、私は、泥臭い努力を評価しない人々や風潮が、大嫌いなわけです。
偏屈かもしれませんが・・・。

 

 

 

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☆夫婦別姓論議について★

先日のゼミの中で、先生と討論をいたしました。
先生の方は、推進派の最たる方なのですが、割と冷静に私の意見をお聞き頂きました。

私は、基本的に、別姓には反対の立場です。
理由は、極めて明確で、別段戸籍上、別姓にせずとも、一般社会において通称使用を認めれば、特段の不都合はないだろうし、あるとしても、 それは主観的なものに過ぎないと考えるからです。

別姓論者の中には、筆頭者である男性の戸籍に入ることについての抵抗感があるようですが、筆頭者は男性である必要はないのですから、 夫婦の話し合いの中で、どちらが筆頭者になるかを決めれば良いだけのことです。

もし、相手の男性との間に話し合いがまとまらなければ、それこそ、ライフスタイルについての合意ができないのですから、 そもそも結婚生活がうまくいくのかどうかと、うがった見方をしてしまいます。

結婚後の姓は、ファミリーネームであって、家族は社会の最小構成団体です。
人のまとまりである団体である以上、その代表者は必要です。
その代表者を誰にするか、それは、その団体の構成員である家族で話し合って結論を導き出せば良いのではないでしょうか。

むろん、その決定過程において、家族以外の他人が口を挟むことはできません。

このようなことを言うと、必ず、当事者が良いと言っているのだから、認めてやれば良いのではないかと反論されます。

果たして、そうでしょうか。戸籍とは私的なものではなく、公的なものです。戸籍上家族とされることによって、 家族としての権利義務が公的に認められることになります。

それは、社会がこれこれの場合に家族として認めましょうという、ある種の要件です。法的な要件である以上、それを決めるのは、 国会の役割です。ですから、国民の大多数が賛成しない限り認めないと言ったとしても、なんら非難されることではありません。

このような意見に対しては、かなり感情的に過激に反応されます。しかし、冷静に考えて頂きたい、 個人の自由を声高に主張するのであれば、果たして同性愛者の婚姻を認めますか?

現状では、もちろん同性愛者の婚姻は認められていませんし、同性愛者の婚姻を認めることに関しては、別姓論者の多くも反対するしょう。

それは、突き詰めると、そのようなものは家族として認めないと社会が判断しているからに他なりません。

しかし、個人の自由と言うことであれば、同性愛者の婚姻を認めないことはおかしいのではないでしょうか。

こちらの方が、夫婦別姓論者よりも、よりマイノリティーであって、かつ、社会からの冷たい目を受けて差別されています。

夫婦別姓を貫く為に、事実婚を選択したとしても、現行法上は、内縁関係として、かなり法律婚に近い保護が受けられるようになりました。

しかしながら、同性愛者の家庭を保護するという立法は行われませんし、これからも行われることはないでしょう。

夫婦別姓の問題を、個人のライフスタイルという点から主張していくと、上記の問題に答えることは出来ません。

もっとも、私自身も強硬に夫婦別姓に反対しているのではなくて、社会の大多数がそれを認め、家族の一形態として許容するのであれば、 それも良いのではないかとも思います。

ただ、私が主張したいのは、夫婦のあり方を決めるのは、その個人であって、 それについて国家が口出しをするなという過激な論調に対して、一定の違和感と反発を抱いているというのが正直な所です。

 


 

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☆徐々に・・・★

明日、月曜の発表の資料は金曜日に作り上げて、私以外の発表担当者の方には、発表部分を私が勝手に割り振りました。

異議がある場合は、一応、言って下さいと言っていたのですが、誰からも異議がでないので割り振りはこれで確定です。  (^_^)b

私が、色々とやることが詰まっている関係上、かなり強引に進めてしまいました。
(でも、今日ようやく先日渡された生データの処理が終わりました。8時間かかりましたけど・・・。)

昔から、感じてはいることなのですが、全体の意見をまとめる必要がある場合には、誰かが音頭をとって、 議論の方向性とたたき台を作成した上で、自由な討論によって修正するという方法が一番早いように思います。

もちろん、音頭をとる人間が無能で、箸にも棒にもかからないような方向に議論を持って行くというのは論外ですが、 ある程度方向性が見えている場合には、行き先を決めて、進んでいくというのは、それ程誤っているとも思えません。

こういう進め方は、完全にある種のトップダウン型で、ベンチャー企業がガンガン進んで行く場合には、 主としてこのような形で行う場合が多いと思います。

ただ、この場合に気をつけなければならないことは、とにかく自由な討論ができる状態を維持することです。それが、 出来なくなった場合には、完全な独裁型となってしまい、修正が効かなくなってしまいます。

大学院に入って、色々な立場の人と議論をして思うのですが、自分一人で作り上げたものより、議論の結果作られたものの方が、 格段に良い物ができあがります。

絶対間違っていないと思っていたことでも、議論の中で、考えた事のなかった視点から見直してみると、 やはりおかしいと思うことも本当に良くあることです。

人の意見には、謙虚に耳を傾ける、これは、本当に大事な事だと思います。

私の大学院のO教授がよく仰っておられる事なのですが、「優秀になればなるほど、謙虚になっていく」というのは、 本当にその通りだと思います。

そんなことを、今日はふと考えたりもしました。

 

 

 

 

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☆テロ対策★

外国人の入国審査で、指紋の読み取りが始まったようです。
テロ対策ということなのですが、出入国の管理は、きちんとやって頂きたいと思います。

いつも、この手のことが行われるようになると、条件反射的にプライバシー侵害だとか、国家による監視だとか言われます。

しかし、たとえ国家が個人情報を取得したとしても、それが適切に管理されている限りは、別段、何の問題もないはずです。

問題は、情報の適切な管理がきちんとなされるかです。
その点についての信用がないというのが、やはり問題なのでしょう。

ただ、個人的には、国民の生命・財産を守る為に、国家がある程度の個人情報を取得するのは、やむをえないし、 むしろ必要なことだとすら思います。

それよりも、私が危惧するのは、むしろ日本の情報収集能力のなさです。

在外公館の人間が、初めて情報に接したのがマスコミ報道だった、ということの方が、余程問題だと思うのですが・・・。

 

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☆したたかな誠実さ★

今日の講義で最終回になる先生が最後に仰った言葉です。

「したたかな誠実さと的確な相場観」

ものすごく、納得しました。
というより、これがビジネス及び社会における人間関係を構築する上での重要な事項を端的に表しています。

以前、私は、ブログのなかで、「できないことの言い訳を考えるくらいなら出来る方法を考えるべきである」と主張したことがあります。

そのことと、先生のお言葉には相通じるものがあります。

要するに、人と人との間の信頼関係というものは、極論すると、その人が「できません。」と言ったときに、その言葉に納得し、理解出来るかということに帰着します。

本当に信頼されているのであれば、「できません。」と言ったときに、こいつができないのだから本当に無理なのだろう、そうであれば、仕方ないと思ってくれるかどうかです。

人間は完全ではありません。どんなに努力をしても、出来ないことはあります。それを、出来ないと言ったときに、当事者が理解してくれるかどうか、それは、まさに、その人を真に信頼しているかどうかにかかってくるものです。

そのように、納得してくれるかどうかは、普段からの心がけ、すなわち、常に出来る方法を考えているかどうか、その人が、自分の為に誠心誠意尽くしてくれているかどうかにかかってきます。

無理なことを無理と言って納得してもらう、それができれば真の信頼関係を構築出来たと言えるのではないでしょうか。

*ちょっと、酔っぱらった状態で書いていますので、後日書き直します。

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☆性犯罪と刑罰★

就職活動の女子大生にわいせつ行為をはたらいた元銀行員に実刑判決がくだったとのことです。
http://www.asahi.com/national/update/1029/OSK200710290050.html

私は、実刑は当然だと思っています。
特に、性犯罪の加害者に対しては、情状酌量の余地はありません。

財産犯であれば、出来心ということもあるかも知れませんし、貧困故の犯罪と言う可能性もないわけではありませんので、すべてを重罰に処すべきとは必ずしも思いません。

また、財産犯の場合には、その物に対する被害者の個人的な思い入れがあると言う点を除けば、基本的に、事後回復も不可能ではありません。

これに対して、性犯罪の場合には、受けた傷の大きさからトラウマとなったり、その後の異性関係に対してまでも大きな影響を及ぼしてしまいます。

そのような事情を考えると、厳罰をもって望むべきであると思います。
極論すれば、性犯罪の加害者に対しては、基本的には去勢すべきだとすら思っております。

私自身、犯罪の被害者です。
2人組の強盗に背後から襲われ、気絶させられた経験があります。

その経験から言わせていただければ、犯罪の被害に一度遭うと、また突然襲われるのではないかという恐怖感に常に駆られます。夜中に、そのときの様子が夢に出てきて、突然、はっとして起きあがるなど、通常の生活に戻るまでには、かなりの期間を要します。

ある意味、屈強な男である私ですら、そんな状態です。ましてや、抵抗する力のない女性であれば、そのときの恐怖感というものは、筆舌に尽くしがたいものがあるのではないかと思います。

男性の中には、冗談で「減るものでもないし」などと言う人もいますが、冗談でもそのようなことは口にすべきではありません。性犯罪の被害者は、貞操侵害の側面もさることながら、それ以上に、自己の生命の危険を感じているのです。

そのような観点からすれば、被害女性の男性関係が派手であったと言う事情は、性行為に対する合意があったか否かと言う点で争うのであれば、必要かもしれませんが、それ以外の点、例えば、被害者の落ち度を主張しようとするのであれば、全く無意味かつ不当な主張であると言わざるをえません。

なぜなら、男性関係が派手であると言うことと、生命の危険を感じるということとの間には、何の関係もありませんから。

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☆学力テスト★

「全国学力テスト」の結果を、市町村別や学校別に公表すべきでないというのが、専門家会議の意見らしい。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060325ur01.htm

その理由は、「地域や学校の序列化や競争過熱が懸念されるため」であるとのことらしい。

意味がわからない。「地域や学校の序列化や競争」が生じて、何が悪い。
競争することによって、互いに良いところを取り入れて、教育の水準が向上するのではないか。

おそらく、言いたいことは、学校や地域の価値が、学力テストだけで判断されてしまうことに対する危惧感であろう。

確かに、以前も偏差値教育に対する批判があったが、そこでの真の問題は、偏差値=人間の価値 とみなされる風潮があった事である。偏差値自体が悪いものではない。

序列=悪 と言う考えは、極めて短絡的であって、スポーツにしろ、何にしろ競争である以上、順位は必ずつけられる。順位がつけられるからこそ、努力もするのである。努力なきところには、何の向上もあり得ない。

むしろ、今まで、学校間を比較するものとして、有名大学への進学率くらいしか、情報がなかったことの方が問題である。

学力テストの結果を公表するかどうかを議論する前に、もっと、様々な結果を公表するようにすればよいのではないか。たとえば、多くのスポーツ選手を輩出したランキングや、英検合格率ランキング等々、なんでもかまわない、とにかく、色々な観点から、ランキングをつけて、どんどん情報公開をして、競争をしていくべきである。

中には、逆に、教師の不祥事ランキングというのもあっても良いだろう。

とにかく、特に国公立の場合、国民の税金で運営されているのだから、「出資者」である国民に有利不利を含めて、情報を公開するのは、当たり前のことである。

現場の教員が、自分たちの仕事に対して、外部からの評価を拒絶する正当な理由はなんら存在しない。公務員である以上、公僕であることを強く認識して頂きたいと思う。

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☆二つのタイプ★

与えられた仕事の処理の仕方として、二つのタイプの人がいます。
一つは、「できない理由を考える人」、もう一つは、「できる方法を考える人」です。

たとえば、締め切りまでの時間が残り僅かの仕事を頼まれた場合に、締め切りになる前から、「できない理由を考える」人と、普通にやっていたのでは終わらないから、どうにかして、「できる方法を考える」人とがいます。

無論、尊敬できる人は後者です。
始めから、無理だ駄目だとあきらめてしまっては、すべてはそこでおしまいですからね。
ただ、そうは言っても、出来る方法が見つからない場合もあります。

そのときでも、「出来る方法を考える」という姿勢で仕事に向かっていると、そのときは出来なくても、次の機会には、出来る方法が見つかることもあります。結果は同じでも、長い目で見れば、結論が違ってくるものです。

私も、常に「出来る方法を考える」という姿勢で、今後もぶつかっていこうと思っております。

PS. 偉そうなことを言っていますが、実のところ、「出来る方法を考える」と優秀な他人の顔が浮かぶのも事実です。いやぁ、頼める友人がいるということも、能力のうちですから・・・ねぇ。 (^_^;)  

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☆弁護士のあり方★

 最近、ちょっと弁護士という者のあり方について、色々と考えたりしていることがあります。(直接、私の仕事とは関係ないと言ってしまえば、それまでですが・・・。)

 弁護士は、依頼人の為に活動しなければならない、これは、当然に一つの正しい姿ではあります。

 ただ同時に、社会正義という側面を考えると、例えば訴訟が終わったから、仕事はそれで終わり、後は知らんということで果たして良いのかということです。

 具体的に言うと、例えば、弁護士が依頼人の為に尽力して、執行猶予の判決を勝ち取ったとします。これは、確かに弁護士としては最高の結果で、これ以上のものはないとも言えます。

 ただ、この後、この依頼人がまた再犯を犯してしまった場合、弁護士としては、どう考えたら良いのかなぁということです。

 むろん、実刑を回避したのは、裁判所ですから、最終的な責任は裁判所が負うと言ってしまえば、その通りなのですが、弁護士としても、果たして無関係と言ってしまっても良いものかどうか、疑問がないわけではありません。

 しかし、かといって、依頼人の更正にまで、弁護士が関わることは、刑事弁護をやるだけでも大変な負担であることを考えると、いくらなんでも、無理なのではないかとも正直思ったりもします。

 ただ、逆に言うと、更正に責任が持てないとしたら、訴訟において、被告人の更正可能性について声高に主張するのは、どうなのかなぁ、自分が責任を持てないことを主張してしまうのは、筋違いなのではないかとも思ったりもしています。

 特に、これが、再犯の可能性の高い性犯罪者のケースを考えると、再犯の犠牲になった人にしてみれば、訴訟記録中の弁護士の主張を見たときにどう思うか、そのあたりのことを考えると、弁護士は、訴訟において主張する事実についても、後々のことを考えて主張すべきではないかとも考えたりしているところです。

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☆朝日・産経「紙上罵倒」合戦★

『沖縄集会「11万人」報道 朝日・産経「紙上罵倒」合戦』という記事がネットに出ていました。
http://www.j-cast.com/2007/10/05012014.html

大手マスコミが、一つの論点に関して、論じ合うのは非常に面白いです。
以前は、社説でもやり合っていましたが、こういう形での議論はどんどんやっていただきたいと思います。

産経が朝日に噛みついても、朝日新聞の方が無視していた時代も過去にはありましたが、最近は、朝日新聞もきちんと応じるようになってきましたね。

朝日新聞も謙虚になったというか、最近の自分たちの影響力の低下を無視できなくなったのかもしれません。

ただ、産経も主催者発表と断ったとは言いながら、自分たちも11万人と報道したのですから、それ程、偉そうなことが言えるのかとも思います。

それにしても、今回の件で、はっきりとしたのは、大手のマスコミの出す数字もそのまま信用してはいけないなぁということです。会場の面積や交通機関の状況を少し調べれば、主催者発表の数字が過大であることなど、すぐにでもわかったでしょうに。

日本国内の沖縄ですら、この程度の調査能力しかないのですから、外国で起こったことに関しての報道については、常に疑念の念をもって、自身でも一応検証してみないと、事実かどうかは怪しいところです。ましてや、それが、過去の事件となれば、なおさら・・・でしょうね。

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☆文科省が見直し検討★

結局、検定意見の見直しがされそう。
全く、無責任極まりない。

「人々が騒ぐから、まぁ、そういうことにしときましょう。」とでも言いたいのだろうか。これこそ、極めて無責任だし、歴史というものを一体なんだと考えているのか、この指導者の無責任体質が、国民を戦争へと導き、多くの犠牲を出したのではないのか。

前にも述べたとおり、本来歴史の問題は、事実があったか否かを、資料を下に純粋な学術的見地から、冷静に吟味しなければならない問題のはず。事実の有無を判断するにあたっては、一切の政治的観点を廃しなければ、真の原因分析が出来なくなってしまう。

事実の有無を考えるに当たって、渡海文部科学相の言う、『沖縄の人たちの気持ちも考え』ることは筋違いも甚だしい。

政治的理由によって、事実の有無がないがしろにされるなら、本来政治的であってはならない検定制度を、それこそ政治的なものにしてしまう行為に他ならない。もし、政治的なものにするのであれば、検定制度は、検閲そのものではないか。

こんな国家による検閲がまかり通るのであれば、検定制度など、即刻廃止すべきである。

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☆レッテル貼りの危険★

先日、教育勅語について書いた際、共産党が、教育勅語は、天皇制と結びついているから価値がないというようなことを言っていると書きました。

この考え方は、ある種のレッテル貼りです。
ある人物が、非常に悪いことをしたからと言って、そのものの発言や作り出したもの全てが否定されるとするのは、極めて短絡的です。

悪人というレッテルを貼れば、後は、なんでも悪いと言うのであれば、思考がそれで停止してしまいます。

例えば、確かにオオムはテロ集団でした、しかし、テロ集団だから彼らの言っていることや教義が、宗教とは無関係だとして、その内容を判断することすらしなければ、なぜ、あれほど多くの若者が、教義や教祖に魅力を感じ、入信していったのかという、最も重要な問題を冷静に分析することが出来なくなってしまいます。

また、以前、日教組や旧文部省は漫画だというだけで、内容も吟味することもなく、低俗で読むとバカになると決めつけていましたし、そのようなキャンペーンを張っていたこともあります。

同様に、塾や予備校は、受験テクニックだけを教えている、だから、その連中の教えていることや彼らが作った教材には、何の価値もないと決めつける、これもある種のレッテル貼りでしょう。

レッテルを貼ると、いかにも物事のすべてをわかったような錯覚に陥ってしまう、実は、そのこと自体が、物事をわからなくしてしまっている最大の原因なのではないかと思わざるをえません。

実のところ、私は、共産党は嫌悪感を抱くくらい嫌いなのですが、評価しているところも多分にあります。

普段から街頭に立って演説しているのは、共産党と右翼くらいですし、確かに、庶民の生活目線と言うことであれば、共産党ほど身近に感じる存在はないとも言えます。

また、市町村レベルにおいては、共産党がきちんと監視してくれないと、特に田舎の方では、役人や地方議員は何をしでかすか、わかったものではありません。

時と状況によっては、共産党の主張にも、理があることもあり得るので、共産党だから、駄目だという発想だけは持たないように、自分自身も気をつけている所です。

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☆先入観と偏見★

先日、私のクラスの『偉大な』お坊様とお話をしておりました。
そのときに、私が教育勅語の話をしたら、さすが、お坊様です、きちんと読まれていましたね。というか、出だしを2人とも覚えているという、ある種、現代人では、極めて希有の存在でした。

教育勅語というと、多くの人は、戦前復古だとか、右翼だとか、すぐにそう言った反応が返ってきます。しかし、そういう人たちのうち、どれだけの人が、実際に原文を読んだことがあるでしょうか。ほとんどの人が一度も読んだことがないと思います。

そこで、原文を載せます。僅か315文字の文章です。

敎育ニ關スル敕語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

御名御璽

現代語訳は、
http://www.chukai.ne.jp/~masago/kyouiku.html
のサイトに書かれています。

確かに、天皇が自らの統治の正当性を示し、臣下である国民に道徳を押しつけたという形になっているといえば、そうかも知れません。

また、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン」の部分は、非常事態の場合には、国の安全と平和に奉仕せよと言っているので、教育勅語が国民を戦争へと駆り立てたという意見も、無理矢理の屁理屈としては、成り立ちうるかもしれません。

しかし、道徳を押しつけたとは言っても、この内容について、反対する人はいますか?大人が子供に説く道徳としては、これほど、漢文調で格調高く、端的なものはないはずです。

日本人が、道徳として宗教を超えて共有しうるものとして、これほど格調高く、完成度の高いものは、私は知りません。

実際、当時の英語訳が、様々な国で読まれ、その結果、日本が文明国として欧米諸国から認められることとなった理由の一つにもなりました。

ちなみに、日本共産党は、以下のように主張しています。
http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/2000525_faq.html

「勅語には、命の大切さも、人権や平等の大切さものべられていません。“良いところ”など何もないのです。」

要するに、天皇制と結びついているから、全く価値がないと主張しています。

どうでしょうか。
先入観と偏見を一度取り払って、読まれてみては如何でしょうか。
それほど、忌み嫌う内容でもないとは思いますが・・・。

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☆歴史認識の問題★

毎日新聞によると『<沖縄>集団自決で検定意見撤回求め県民大会 11万人参加』という記事が出ておりました。

沖縄の人たちが、自分たちの意見を表明する為に、集会や活動を行ったり、議論をされたりすることには、大賛成です。 どんどんやって頂きたい、その中で、あらたな事実が明らかになるとすれば、歴史学の発展にも寄与していくことでしょう。

しかし、歴史の問題を政治的決着というような形で、あまりに反発が多いから、そうしましょう、 みたいないい加減な対応を国側はとるべきではありません。

きちんと、資料に基づいて、正確な事実をもとに、こういう事実がこれこれの証拠によって認定できるから、 こういう事実があったと合理的に推察できる、そして、そのような事実関係からすると、 このような不幸な結果となった原因はこれこれであったと考えられる、というようにあくまで冷静に純粋な学問として、 歴史は研究されていくべきです。

歴史は、倫理の問題ではありません。「正しい」「正しくない」の問題は、価値判断の問題ではなく、 その事実が正しいか否かという純粋な科学の問題です。

「正しい歴史認識」ということは、そもそもあり得ないし、逆にある一定の事実に対する評価を国家が国民に押しつけるとするならば、 それこそ、国家による思想統制に他なりません。

議論すべきは、事実の問題です。

この問題については、政治問題とするのではなく、文科省の主張する事実が、これこれの証拠からすると、明確な誤りがあるという形での、 冷静な純学問的な問題として、議論しなければなりません。

歴史を政治と絡めてしまうと、過去の不幸な事実から学ぶことが出来なくなってしまいます。単純に、「帝国主義が悪かった」 「軍国主義の責任だ」と言ってしまうことは簡単ですが、なぜ、帝国主義へと向かっていったのか、なぜ、 軍国主義へと進んで行ってしまったのか、そして、なぜ、われらの祖父母、曾祖父母たちは、それを防止することができなかったのか、 という極めて重要な問題がないがしろにされてしまいます。

過去の不幸な歴史を繰り返さない為にも、歴史の議論は、純学問的に冷静に行うべきであるというのが私の意見です。

 


 

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☆喧嘩を売るつもりはありませんが・・・★

最近の私のブログは、完全にグルメ日記と化していて、見てるとおなかが空いてくるという指摘もありますので、久々に、大学ネタです。
というか、学生だったことをすっかり忘れていました。 (^_^;)

今週から、後期の授業が始まりました。
とりあえず、第一週目ということもあって、ゼミナールの選抜等々が行われております。

私は、ゼミに関しては、第一線の先生に、それこそ学生という気楽な立場を利用して、 無礼講で議論ができるすばらしい場だと考えております。

実際、一旦社会に出ると、ものをよく知らない人間が、その分野のトップの方に自分の意見を言う機会を持つことなど、 ほとんどあり得ません。

仮に、そのような機会があったとしても、そのときには、自分の後ろには会社という立場がありますので、その立場を離れて、 意見をいうことは、余程のバカでもない限り、行うことはできません。

また、一旦社会に出れば、どんな平々であろうとも、外へ出ればその会社の看板を背負います。その場合、「知りません」などとは、 口が裂けても言えません。知らなくても、さも知っているように振る舞わなければなりません。

ところが、学生の場合、堂々と「知りません」「わかりません」ということができます。
これこそが、学生の特権です。このあたりの事が、学生時代にはわからないものです。

で、何を言いたいかというと、折角そのような素晴らしい場に参加しようとする以上は、手を抜かずに真剣にやれということです。

良い成績が欲しいからゼミを取ろうだとか、このゼミが楽そうだからとろうなどということは、たとえ真の動機がそうであったとしても、 口に出して欲しくはないのです。

ましてや、ゼミに参加したにもかかわらず、「できません。」などと平然と言ってのける人間に対しては、心底頭にきます。

ただ、それを言っているのが若い学生だけならともかく、自称元社会人だったりするのをみると、一体この人は、 どの程度のレベルの仕事をしていたのかと疑問を抱かずにはいられないのですが・・・。

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☆「いじめというより犯罪」文科相★

『「いじめというより犯罪」文科相が批判 神戸の自殺』という記事が本日の産経新聞に出ていました。
 http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070918/gkk070918001.htm

私は、以前より、マスコミの使う「いじめ」という表現に異常な違和感を覚えていました。
新聞に出てくるような事件は、すでに、「いじめ」という言葉の持つ範囲を超えています。

明らかに、暴行、傷害、恐喝、強要の域に達しているものばかりです。
それを、「いじめ」という言葉でひとくくりにしてしまい、その結果、実態を分からなくしてします。

マスコミは、なにかと物事をひとくくりにして論じたがります。
その結果、これはこのよう類型だから、こうだみたいな論調を簡単に述べてしまうのは、実態を分からなくしてしまう最大の原因ではないかと思うのです。

あえて、批判をおそれずに言わせてもらえば、学校における単なる無視や仲間外れ等のいわゆる本来の意味での「いじめ」は、いじめられる側にもなんらかの原因があります。
(原因であって、責任ではありません。この所は決して誤解されることのないようにして下さい。)

いじめの問題を解決するためには、その原因が一体何か、そして、その原因を除去するために学校側がいかなる対応をすべきかということを考えなければなりません。

その原因が、加害者側の偏見や傍観者の無責任にあるとすれば、そちら側の徹底的な教育をする必要があります。もし、被害者側の対人的対応に原因があるとすれば、被害者側のそのような対人的対応を変えていく方が、彼の将来の為にも有用でしょう。

原因を分析せずして、通常の「いじめ」の問題は解決しません。

ところが、通常の「いじめ」の範囲を超える、暴行、傷害、恐喝、強要の域に達しているものは、明らかに加害者側の矯正、教育の観点から物事を考える必要があります。

このようなケースにおいて、被害者側の原因を云々することは、被害者側の落ち度を主張するものであって、余程のことがないかぎり、安易に論じるべき問題ではありません。

この2つのケースを、「いじめ」の問題としてひとくくりにして論じることが、本来の「いじめ」問題を解決する妨げになっているのではないかと、私は考えております。

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☆PSE問題★

久々に新聞を読んでいて「?」と思ったので、私の意見を述べさせていただきます。
産経新聞に、「PSE問題で経産省管理職5人に厳重注意」という記事が出ていました。
http://www.sankei.co.jp/keizai/kseisaku/070911/ksk070911015.htm

これを読んでの私の印象。
「なんか違うんじゃない?」

確かに、担当者に混乱を招いた責任があるのはそうでしょう。
しかし、最大の責任があるのは、この法案を通してしまった国会議員の側にあるのは明白です。
法案審議の段階で、法案の問題点を明らかにすることなく、法律にしてしまった、その原因は、国会議員の無能さ以外のなにものでもありません。

それを官僚の側の責任にしてしまうと言うことは、とりもなおさず、官僚に政策決定権限があるといっているのと同じことです。官から政へと言いたいので有れば、政治家が官僚の政策を批判するだけの能力を備えることの方が先決です。

今回の混乱も、法律の施行直前になっての話です。5年間の猶予期間があったのだから、その間に問題点が明らかになれば、法案の修正を行えば良かっただけの話です。それを、行政解釈の変更のような曖昧な形にしてしまって、政治家が自らの責任を論じることなく、官僚の責任だけを云々するのは、私としては非常に違和感を感じます。

会社で言えば、決裁権のある上司が、実務部隊の部下に全責任を負わせて、自らの責任を回避しようとしているのと同じ事です。そんな会社で、良い仕事など出来るはずもありません。

また、今回の件に関しては、野党の対応も非常におかしいと思います。自分たちも、この法案を通すときに反対していなかったはずです。とすれば、問題点を判断する能力がなかった点をこそ、反省すべきです。自らの責任を論じることなく、他人の責任にするだけでは、責任有るものの発言としての重みはありません。

何でもかんでも、官僚の責任にして、国民の人気を取ろうとするので有れば、それは単なるデマゴーグであって、批判の矛先をある一点に集中させる手法という点では、ナチズムと同じことです。

とにかく、官僚だけを叩いていれば、十分だと考えている政治家にだまされるほど、日本人は馬鹿ではないと思いたいのですが・・・。

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☆参議院選挙★

今日は、大学へ行く前に、投票へ。
とにかく、自らの意思表示はきちんとしておかないと・・・。

途中、早めの昼食を。
今日の昼食も、吉野家の鰻丼定。550円(←強調)
070729_1119~0001    

とにかく、期間「限定」という言葉にはめっぽう弱い。

で、大学へついて、一応、 〆(°°)カリカリ.

が、セミの声がぁーーー。

すると、今度は雷が・・・。
ネットを見ると大雨洪水警報。

やばぁ、早めに帰ろうと、そそくさと大学を後に・・・。

で、家に戻ってテレビをつけたら、

 

自民党大惨敗

 

(O_o)WAO!!!

ここまで、負けるとは・・・。
一応、明言しておきますが、今回の選挙、私、自民党に投票しております。

大学の中では、超少数派です。
若い連中のほとんどは、民主党に投票したのではないかと思いますけど。

基本的には、大学では政治の話はしないようにしています。
色々な信条の人がいますから。
政治と宗教の話は、職場や学校などの公の場ではしない方が無難です。

ただ、その辺のことについては、日本人は割と鈍感なのかもしれませんけどね。

 

 

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☆政見放送★

産経新聞に「ネットでいじられる政見放送…対処法なく、悩める選管 」という記事が出ています。

http://www.sankei.co.jp/seiji/senkyo/070402/snk002.htm

ようするに、政見放送は、放送回数や時間が厳格に定められているにもかかわらず、ネット上に流れてしまうと、制限がなくなってしまうということが問題だということみたいです。

率直な感想。
「公選法が古すぎる」という一言につきます。

一般の人が情報発信を行うことが極めて困難であった時代の法律で、そもそも現在の状況とはことなります。

本来、選挙活動は自由であるべきであって、選挙活動を通じて、様々な意見がかわされる中で、有権者が候補者を判断していく、それが、本来の民主主義の姿であると考えます。

現在の選挙において、各候補者が行いうる選挙活動が平等かと言えば、そんなことはありません。

テレビ等の討論会への出席は一定の候補者に限られていますし、市民討論会においても、すべての候補者に参加の機会が保障されているわけではありません。

確かに、泡沫候補を議論に参加させると、話がまとまらなくなるという側面もあるでしょうし、中には、差別用語を連発するような連中もいるかもしれません。

その場合のリスクを考えると、やむを得ないとは思いますが、マスコミが候補者を事実上選別してしまうというのは、少数意見の抹消に繋がるおそれがないとも言えません。

その意味では、ネットを通じて、ある意味「泡沫」候補の主張が聞けるというのは、健全な民主主義という観点からは、むしろ、歓迎すべきかも知れません。

(「泡沫」候補だけを集めて、深夜に討論番組を浅草キッドの司会でやってくれると、マジで面白いとは思いますが・・・。)

で、ネット上でおそらく一番人気の候補の演説です。
http://www.youtube.com/watch?v=l2C9lv5t0yQ

ついでに・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=3BLp1IUEkik

http://www.youtube.com/watch?v=xThzXi0ZCPc

http://www.youtube.com/watch?v=dxrk9wPjASc

http://www.youtube.com/watch?v=t-3QorADO8A

http://www.youtube.com/watch?v=lzhmc4tc8fI&NR

http://www.youtube.com/watch?v=jq0j91t_gVE&NR

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☆議員宿舎★

赤坂の議員宿舎が豪勢だと批判されています。
私の率直な意見としては、「くだらないことでくだくだ騒ぐな、その分、しっかりと仕事しやがれ。」というものです。

単純な連中は、なにを作っても、どうせ「豪華だ」「議員特権だ」というに決まっています。
それも、完成した後、供用間近になってからです。

問題なのは、一体いくらの予算を使って、何を作ったかです。
「議員宿舎自体が不要だ」と言う議論であれば、それはそれでしっかりと行って頂いて結構です。
また、建設予算が、同種の建築物に比べて高すぎるというのであれば、その理由、必要性を質すことも必要でしょう。

しかしながら、それらの事柄は、着工前の設計段階、計画段階で行うべきであって、完成後、供用間近になって行うことではありません。

供用間近になって、設計を変更したり、作り変えたりしたのでは、そもそも余分にお金がかかりますし、機能的でもありません。

ましてや、こんなくだらない問題で、議員の時間が忙殺され、国会で無駄な議論が行われるとすれば、それこそ、税金の無駄遣いです。 国会開会中は一日あたり、2億円近い経費がかかっていると言われているのですから、この為に、もし重要案件の審議が延びて、 国会が10日間延長されたとすれば、それだけで20億の「損失」ということになってしまいます。(この分で、ビルが建ってしまいます。 )

国会議員は清廉でなければならないというのは、その通りですが、職務の「正当な」対価について、国民は負担しなければなりません。 そうでなければ、金持ち以外の人間で優秀な人間は国会議員になることができなくなってしまいます。

 

 

 

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☆社会的弱者に対する対応★

今日は、80歳を超えたおばあさんを連れ出して、お買い物へ。
公共交通機関を利用したのですが、あいにく、満席。

こういうときは、東京だと割とすぐに席を譲ってくれるのですが、最近は、むしろ田舎の方が、席をなかなか譲ってくれません。

ほとんど、だれも気がつかないふりばかり。
そういうときは、私は、近くにいる人に譲ってくれるように、こちらからお願いします。

すると、ほぼ100パーセント、譲っていただくことができます。
その点では、まだまだ、日本も捨てたものではありません。

(まぁ、もし譲ってくれなかったら、私が電車内で暴れますけどね。)

それは、電車内で無遠慮に携帯をいじっていたりしている女子高生であろうと、不良ぽくいきがっているヤンキーであろうと同じです。

言えば、ほぼ間違いなく、譲ってくれます。

そんな状況に何度も遭遇していると、あることに気づかされます。
要するに、皆さん、譲るタイミングをつかめていないだけなんです。

どのような人に対して、どのようなタイミングで声をかけるか、そのあたりのコツというか呼吸というかをつかめていないのです。

それは、ひとえに社会的弱者に対する対応に慣れていない、これにつきます。
よく言われることですが、ヨーロッパでは、町中で車いすの人によく出会います。
というより、街を歩けば、必ず、複数の方と出会うといった方が正しいかもしれません。

その点、日本の場合は、どうでしょうか。
銀座や新宿を歩いていて、車いすの人に出会うことはきわめてまれです。

普段から、ハンディキャップを有している人に接することがないために、どのような形で接してよいかわかりません。

そのような状況で、ハンディキャップを有している人に出会うとどうなるでしょうか。
どうしてよいかわからない、だから、気づかないふりをする、そういう行動をとってしまうのも確かに頷けることではあります。

そこで、私は、前々から思っていることですが、普通公立学校へ障害者の方も通えるようにすべきだと考えております。
日常から、障害者の方に接していれば、どのような場面でどのような形で、手助けをすれば良いか、そしていかなる場合には、 手助けをすべきでないかということを自然と学ぶことができるはずです。

普通公立学校へ障害者の方が通うことができるようにすることは、障害者の方のメリットというよりも、 健常者にとってのメリットの方が大きいのです。

その点では、学校にスロープやエレベーターを設置する費用は、純粋な福祉費用ではなく、教育関連投資の一環として、 十分に効率的な投資となるのではないかと思う次第であります。


 


 

 

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☆鹿児島県民ではないけど・・・★

別に、私は鹿児島県民ではありませんが、ちょっと、これで良いのかと気になったので・・・。
根占から指宿までフェリーに乗ったのですが、このフェリー、赤字を理由に一度廃止されました。

廃止した路線を住民の生活に必要不可欠として、自治体が資金を負担して、復活させることは別段非難されることではないかもしれません。

しかし、この路線の復活には大いに問題があると考えます。

というのは、この路線の廃止後、「なんきゅうフェリー」という会社が、小型フェリーを大根占、指宿間に就航させているのです。
その結果、住民の生活路線は、守られることとなり、小型化に伴う経費節減によって、経営もうまくいっていたようです。

http://www5.synapse.ne.jp/nankyu/

しかしながら、指宿市、南大隅町は、以前フェリーを運航させていた岩崎グループから、港湾施設及びフェリー自体を取得し、 フェリーを岩崎グループに貸し出すとともに、発券等の地上業務を自治体が負担するという方法をとりました。

http://373news.com/modules/pickup/topic.php?topicid=57&storyid=1041

よくよく考えると、岩崎グループにとっては、遊休資産を担保に自治体から3億6千万円分の融資を受け、かつ、 遊休資産を2億4千万で売却したのと全く同様の利益を受けるとともに、 運営経費の一部を自治体に負担させることに成功するという利益を受けたことになります。

自治体が、税金を元に一企業にこれだけの利益を与えることが正当化できるのか非常に疑問です。

別に、路線を復活させなくても、「なんきゅうフェリー」の新規参入によって、生活路線の維持はなされているにもかかわらずにです。

これが、東京の事案であれば、かなり問題になっていたのではないかと思わずにはいられませんでした。

 

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☆反論を予想して・・・★

一方で、新幹線の開通により、人々が地元の商店を利用することなく、博多の方へ買い物にでかけるようになって、 地元の商店が衰退するという結果をもたらしたと批判する人もいます。

確かに、そういう側面はあるでしょう。
しかしながら、敢えて主張するとすれば、それのどこが問題なのでしょうか。

経済の活性化は、競争をもたらします。
それは、当然のことです。

地元の客を地元に引き留めようというのであれば、それ相応の努力が求められます。
その努力をすることなく、地元の人間は地元で買い物をしろ、外からのお客さんだけは来てほしい、というのは、単なる甘えにすぎません。

そもそも、田舎へ行けば行くだけ、不動産賃貸料も賃金も低いのです。
その上、インターネットの発達により、従来、陸の孤島と呼ばれた地域ですら、ブロードバンドの回線を引くことができるようになっています。

本もアマゾンを利用すれば、どんな本でも手に入れることができます。
その意味では、田舎と都会との間には、もはや情報の格差は存在しません。

とすれば、田舎の安い賃料及び賃金を利用して、オリジナルな製品を作り出すことは十分に可能であるし、また、作り出したものを、 インターネットを通じて販売し、宣伝することも十分に可能です。

P1010037_320 情報格差がなくなり、時間距離的デメリットが減った状況は、 田舎の人々に成功のチャンスをもたらす絶好の機会なのです。

←かつての陸の孤島、大隅半島のすみっこの、ど田舎です。

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☆新幹線(補足)★

九州新幹線は時間距離的短縮をもたらす必要性の高いものです。
その点についての私の考えは揺るぎません。

ただし、全てについて、賛成しているわけでは決してありません。
高速鉄道は、都市間を結んでこそ、意味のあるものです。

九州新幹線の場合、福岡、熊本、鹿児島という九州管内の主要都市を結ぶという点でこそ意味があります。

観光地と都市を高速鉄道で結ぶということは、安直かつ無意味であると考えています。
観光に行く場合は、必ずしも、早く目的地に着く必要はありません。

観光の活性化や起爆剤に高速鉄道を利用しようなどとは、全くもって無意味であると考えます。
なにも、観光地へは早く着く必要はなく、その間の移動を楽しめるよう、旧来の鉄道に特徴ある列車や車両を導入することによっても、 十分活性化を図ることは可能です。

莫大な公費をつぎ込んでまでも、高速鉄道を走らせるメリットはありません。

そのような点を考えると、計画されている長崎新幹線や九州新幹線の船小屋の新駅などは、 地元の安直な発想以外の何者でもないと私は考えております。

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☆りそなシステムトラブル★

福岡への飛行機の予約で、今回、ちょっと酷い目に遭いました。
それは、・・・。

「りそな銀行のばかやろーーーー。」

実は、3月12日までに振り込みをする必要があって、タイへ出発する前に、振り込みの手続きをしていたんです。

ところが、システム障害で、振り込みの取り消し。
それも、現地に着いて、メールを受信して初めてわかるというタイミングでした。

しかも、そのメール、機械的に送られたメールで、振り込みの取り消し理由の記載が一切ありません。
その上、連絡先の電話番号が、フリーダイヤルのみ。
これでは、国際電話もかけられません。

仕方がないので、別途、新生銀行から振り込みをやり直して、旅行会社の方へは、振り込みが遅れる可能性があるとの連絡を入れて、 予約が取り消されるという事態は防ぐことができました。

障害の対象となった振り込みは、3月12日付振り込み予約の一部であることが判明。
結局、その一部が、俺やんけーーーー。

http://www.resona-gr.co.jp/resonabank/kojin/oshirase/2007/detail/pdf/070316.pdf

ホント、ノートパソコンを持参して、朝、ホテルの部屋でメールをチェックしてよかったです。

金融機関のシステムトラブルは、その日に振り込みを済ませないといけない人にとっては、多大な損失を被る可能性がある、 そんな事実を身をもって学んだ次第です。

ちなみに、りそな銀行のホームページによると、取引店からの電話連絡、速達郵便での連絡はあったようですが(帰国後判明)、 電子メールでの個別連絡は、ありませんでした。

取引店曰く、「電話をおかけしてもつながらなかったものですから・・・。」

だったら、個別にメールをよこせ。
今のご時世、メールでの連絡が一番早くつくのだから。

そもそも、海外出張の場合、連絡先がフリーダイヤルだけでは、どうしようもありません。
きちんと、複数の電話番号を記載する等の対応をしていただきたいものです。

W(=0=)W ガオォー!!

 


 

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☆弁解がましい?★

産経新聞によると、山崎拓が首相発言に対して、『「弁解がましいことは一切しない方がいい」と批判した。』『「そういう議論をするより、われわれは(旧日本軍の関与を指摘した平成5年の)河野洋平官房長官談話を認めるべきだ」と述べた。』とある。

しかし、そもそも、首相は河野談話を否定しているわけではない。
政府として、解釈を変更したわけではないのだから、そもそも問題にすること自体がおかしい。

山崎氏の論理によると、波風立てるようなことを言うなと言っているようにしか聞こえない。
しかも、、「弁解がましいことは一切しない方がいい」ということは、相手方の誤解を放置しろと言っているに等しい。

これでは、誤解が「真実」として一人歩きしてしまうことを、国家として黙って見過ごせというのか。

全く持って事なかれ主義としか言いようがない。

そもそも、この話がこの時期に出てくること自体、極めて作為的な気がしてならない。
日本が拉致問題を人権問題として、声高に主張する資格はないと印象づけ、日本の主張の正当性を否定したい、国家や一定の勢力の存在を疑わざるを得ない。

拉致問題を日本が主張することで、結果的に孤立したとしても、人権という人類普遍の問題について、原則を貫いたという国家の姿勢は、長期的にみれば日本の国益にかなった結果となりうる。

むしろ、その場合、最大の不利益を被ることになるのは、アメリカの方である。

人権問題については、時として内政干渉と思われる程度のことを、過去幾度となくやってきたアメリカが、国家による拉致という明白な人権侵害行為について、結果として、原則を貫いた日本を孤立させてしまう。

そうなれば、アメリカは、今後、人権を盾に他国に対して、主張することの正当性を完全に失ってしまうことになるだろう。

アメリカの本音は、自国民が被害者となっていない問題で、自国の安全保障へ重大な影響を及ぼしかねない核の問題を解決できなくなってしまうことは、避けたいという所だろう。

しかも、おそらく、北は拉致で妥協することはない。

となると、アメリカとしては、日本が拉致の問題を主張することをやめさせたい。
しかし、それを、アメリカの立場として、表だって言うわけにはいかない。

もちろん、それがアメリカという国家の意思という訳ではないにせよ、そのように考える勢力が存在したとしてもおかしくはない。

その場合、中国、韓国、北朝鮮の利害は完全に一致することになる。

そこで、拉致で妥協することはないであろう首相へ揺さぶりをかけてきた、そのように考えると、一連の流れが非常によく分かると思えるのは、考えすぎであろうか。

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☆首相発言★

慰安婦問題に関する首相発言が一体何の問題があるというのか。

そもそも、ずっと以前から言っているわけだし、アメリカ下院に提出された法案について、根拠となる事実関係が誤っていると、政府の代表として、正確に反論したにすぎないだけのこと。

相手方の誤解について、利害関係者が事実関係が違うと主張することに何の問題があるのか。

誤解は、適切に解いて行かないと、誤った事実が一人歩きしてしまい、将来に禍根を残すことにもなりかねない。

そもそも、慰安婦の問題については、首相が言うように「官憲が家に押し入って人さらいのごとくつれていくという強制性はなかった」にも関わらず、あたかも、そのような事実があったかのごとく、それを前提として論じられているきらいがある。

実際、中国人のほとんどはそのように誤解しているし、この問題に関して若干知識のあるフランス人やアメリカ人の多くもそのように誤解しているようだ。

しかも、首相発言は、河野談話自体を否定しているわけではない。
談話の中でも、「官憲が家に押し入って人さらいのごとくつれていく」というような事実を認めているわけではないのだから。

政府はとにかく自国の立場について、諸外国に対して、正確に説明する義務がある。
説明責任を果たすことなく、誤解が蔓延することを放置してしまっては、誤解が「真実」として一人歩きしてしまうことを、追認してしまうことになりかねない。

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☆泥仕合★

別に、何度もぐたぐた書くことは、本意ではないのですが、今度は、管直人が問題発言をしたと、与党側が主張しているので、それについての論評を、ちょっと、させて頂きたいと思います。

先に、申し上げておきますが、私の一番嫌いな政治家は管直人です。
その辺につきましては、誤解なさらないようにお願い致します。

今回、問題とされているのは、

『菅氏は1月18日、名古屋市内での演説で、「愛知も東京も景気が良い、生産性が高いと言われるが、愛知も東京も1、2を争うほど、子どもを産むという生産性が最も低い」と語った。』 (2007年2月8日22時12分  読売新聞)

という点です。

結論から申し上げると、そんなに問題とは思いません。

まず、「生産」という言葉を辞書で調べますと、

(名)
スル
[1] 子供を産むこと。また、生まれること。出産。

・ ―より成人に至るまで終に物云ふ事なし〔出典: 盛衰記 24〕 

[2] 生活のために働くこと。

(大辞林)

[名](スル)

1 生活に必要な物資などをつくりだすこと。「米を―する」「大量―」

2 人間が自然に働きかけ、財・サービスをつくりだし、または採取・育成する活動。

3 出産。しょうさん。

(大辞泉)

というように、「出産」という意味が含まれております。

そこで、この「生産」という表現に、女性蔑視の側面があるかということになるのですが、子供を産むのは、女性です。この新たな生命を生み出すという崇高な役割を女性が担っている、それは、否定しがたい事実なのですから、女性が新たな「生」を「産」みだすことをとらえて、「生産」(しょうざん)と表現して、何が問題なのでしょうか。

「生産」という言葉に、蔑視の側面は含まれていません。

与党側は、「機械」ととらえたことに対して、同じように「もの」扱いしたと主張したかったのでしょうが、別に今回の場合は、女性を「もの」扱いしているとは言えません。

その意味で、今回の批判は、そもそも的はずれであって、何故、大臣の発言が物議を醸し出したのか、そのあたりのことを、批判している人々も全く理解していないということが逆に明らかになってしまった、そのように、私は理解しております。

ただ、管直人自身が、上記の内容をふまえて、言葉を選んだとは思えません。

そもそも、彼自身、人の批判をするときは、調子が良いわりに、火の粉が自分に降ってくると、とたんに、人のせいにしてしまい、逆ギレし、結局は逃げてしまうという、とても人の上に立つ人間とは思えない行動をよくとります。

今まで、管直人が一体どんな行動を取ってきたでしょうか。

女性問題
←だれも信用しないような言い訳をして、さらに追求した記者に会見で逆ギレ。

年金問題
←軽微な問題を、さも重大犯罪であるかのごとく、批判していたら、自分も未納だったことが発覚。言い訳として、官僚に責任転嫁。しかし、当時の最高責任者が自分だったことを指摘され、また、逆ギレ。

二世問題
←さんざん、自民党の世襲議員を批判しておきながら、自分の息子を党の公認候補として、立候補させる。言い訳にならない言い訳をする。

(だったら、公認なんかするな。どうしても出たいというのであれば、無所属で出馬させるべきだろうが。)

以上のような過去があるので、そもそも、私は管直人を全く信用しておりません。

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☆「健全発言」★

柳沢厚生労働相は「若い人たちは『結婚したい、子供を2人以上持ちたい』という極めて健全な状況にいる」との6日の発言について「撤回しなければならない理由がわからない」と述べ、取り消す考えのないことを強調した。(2007年2月7日21時23分  読売新聞)

この大臣は、本当に無知なのか、それとも、引っ込みがつかなくなって、意地をはっているのか、そのあたりの事情は知る由もありません。

他の分野での実績や能力はともかく、本当に認識ができないとすれば、少子化の問題を語る資格はありません。

問題なのは、個人のライフスタイルの問題について、国家がある一定の価値観の下に、正しいとか正しくないとか、そういうことを言うこと自体が誤っているということです。

それは、女性は家庭に入って、育児に専念するのが幸せである、というような価値観を押しつけるのと全く同じレベルの話です。

国民全体の利益を図る見地から、子供を産んだ女性に対して、手厚く保護するなり優遇したりすることを国家の政策として行うことは、別に選択として誤っているとは思いません。

ただ、そのような不利益を受けることを、十分に理解しながら、別の選択をした人に対して、それが「健全である」とか「健全でない」とか、一定の価値観の下に評価することが誤っているのです。

そのあたりのことは、本人がどう思うかは別としても、少なくともそのような強い批判が来るであろうことは、十分に予想したで、政治家として発言して貰いたい、批判の予測すら出来ないようであれば、やはり、大臣としての適格性に欠けるといわざるをえないわけです。

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☆不適格な大臣★

6日に、厚生労働大臣がまた「無知な」発言をしたようです。
毎日新聞によると、「子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけだから」と、政府が行わなければならない少子化対策の必要性を問う中での発言のようです。

確かに、政府の責任の重さという文脈の中で、使われてはいます。

しかし、今回の場合は、発言の趣旨というよりも、散々与野党からたたかれており、自分の発言が非常に注目されていて、言葉を選んで使わないと、さらなる批判を招くであろうということが容易に想像できる状況の中での発言という点において、極めて、認識が甘いと言わざるを得ません。

今回の場合であれば、「健全な」などという一定の価値観を押しつけるような言葉ではなく、政策担当者として、国民全体を利益を考えると、「ありがたい」状況にあるという表現をすべきでした。

むろん、文脈の中から、特定の言葉を取りだし、無意味に言葉尻をつかまえるような批判は、批判の為の批判であって、それを政争の具にすることは、無意味かつ不当であると言わざるを得ません。(例えば、以前、石原慎太郎知事が発言した「三国人」という発言が良い例です。)

しかし、今回の場合は、厚生労働大臣という最高責任者として、少子化問題に取り組んでいかなければならない者の適格性を考える上で、避けて通ることのできない非常に重要な問題を含んでいるのです。

その意味では、単に言葉尻をつかまえているという言い訳は通じません。

そもそも、子供をいつ持つか、そして何人持つかということは、個々人のライフプラン、殊に、現状では、多くの場合その負担を負わされている女性自身の生き方そのものの問題です。

少子化を避けるという国家の政策目的を達成する為に、子供のいる家庭の税負担を軽くしたり、様々な優遇施策を講じたりすることは、それによって、子供のいない家庭あるいは女性に対して、ある種の不利益が生じたとしても、それが、政策遂行の為に必要なものであれば、許容されるでしょう。

しかしながら、そのような不利益を承知の上で、自らのライフプランとして、子供を持たないという選択をした人に対して、国家が軽々に、ある一定の価値観のもとに、「健全だ」「不健全だ」とか「正しい」「正しくない」というような評価を下すことが、果たして許容されうるでしょうか。

子供を持つか持たないかという自由は、堕胎の自由を含めて、諸外国で政策の重要な争点として、かなり議論がされている問題です。そのような問題だけに、自分に反対の意見を持っている人たちが、どのような意見を持ち、そして、どのような理由で批判をしてくるかということを理解できないのは、無知以外の何ものでもありません。

問題の本質の、基礎中の基礎すら理解できていない人間が、大臣をやっていては、少子化問題の解決などできるはずもありません。

直ちに辞任すべきだと私は考えます。

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☆認識の甘さと無知★

とりあえず、今日は水曜日ということで、試験も中盤にさしかかりました。
最近は、とにかく書くスピードが落ちて落ちて、まぁ、厳しいですねぇ。

キーボードでの入力が出来たら、すごく楽なんですけど、そうなるまでには、相当時間が掛かることでしょう。やれやれ。(^_^;)

先ほど、新聞を見ていたら、『「産む機械」発言の厚労相、与党にも辞任論』と出ていました。大体、大臣の発言は揚げ足を取られるものなんですが、これは、はっきり言ってどうしようもないですね。

使われた文脈を見てみても、機械に例える中で使っているし、単に部分だけを取り出したという言い訳がきくような場面でもありません。

そもそも、「機械」に例えると言うことは、『世の男どもは、女性を「あなとふくろ」としか評価していない』というのが、女性活動家のずっと昔からの主張だったわけですから、その辺を考えれば、即座に猛烈な攻撃が来るであろうことは、十二分に予測できたはずです。

にもかかわらず、一番マズイ例えを、しかも厚労省の担当大臣が言ってしまったということは、非常に大きな問題です。

言葉の問題と言うより、認識の甘さと無知が露呈してしまったということではないでしょうか。

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☆代理母に関して2★

 前回、私は代理母に関して、現時点では反対の意見を有していると申し上げました。
 それは、まず、代理母を認めることによって得られる利益は、基本的には親が「自分たちの遺伝子を有した」子供が欲しいという利益に過ぎないからです。

 自分たちの子供が欲しいという利益ではありません。
 単に、「自分たちの遺伝子を有した」子供が欲しいという極めて限定された利益です。
 そして、それは全く主観的な利益に過ぎません。

 なぜなら、代理母が出産した子供を出産後自分の子として育てるということと、代理母でない女性が出産した子供を、出産後自分の子として育てると言うこととの間の差異は、その子が「自分たちの遺伝子を有し」ているか否かという違いに過ぎないからです。

 もし、精子と卵子の提供が非配偶者間で行われて、その後、代理母が出産したという場合を考えたならば、養子を貰うこととどこに違いがあるでしょうか。

 それ程までに血縁が重要でしょうか。

 人は社会的な存在です。
 親と子という社会的な関係から、親子関係は築かれていくものであると私自身は考えております。

 仮に血のつながりがなくても、親が子を子と思い、子が親を親と思っていれば、それで十分ではないですか。

 血のつながりがなければ駄目だ、という意見には、私は賛同致しかねます。

 また、現在行われてしまった代理母のケースでは、確かに、家族の情愛に基づく完全なボランティアであったことは間違いないでしょう。

 しかしながら、たとえ親族によるボランティアといっても、常にあらゆる場合に置いて、任意性が担保できるのか、それ自体、非常に疑問でもあります。

 家族関係は、家族ごとに全て異なります。それまでの、経緯や親族間の力関係から、任意の形を取ってはいるものの、事実上の強制が加えられる可能性は、否定できないどころか十分に考えられることです。

 その場合、単に医師の代理母本人への聴取で済ませるつもりなのでしょうか。
 つい先日にも、腎臓の臓器売買があったばかりです。医師の聴取だけでは、不十分なのは、この事例をみても明かです。

 また、親族間に止まらず、他人による代理母、そして、そこになんらかの金銭の授受が伴うとすれば、それは、見方を変えれば、女性機能の売買、極論すれば売春と同じ構造と評価しえなくもありません。

 このような問題点すら完全にクリアされていない状態で、代理母を認めることが果たして妥当なのでしょうか。

 何度も言うようですが、代理母の場合、所詮、親の「自分たちの遺伝子を有した」子供が欲しいという極めて限定された願望に過ぎません。

 親子関係は、血縁の問題ではなく、社会的な関係の問題です。

 私が、現時点で代理母に反対の意見を有しているのは、以上のような理由からです。

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☆代理母に関して★

11月19日(日)のサンデープロジェクトで、代理母に関する議論がなされていました。
物議を醸している根津医師も出席し、意見を述べておられました。

代理母の是非に関しては、将来変わる可能性がないとは申しませんが、私は現時点では反対の意見を有しております。

一方、根津医師の行為については、全く賛同致しかねます。

その理由としては、何の為に様々な分野の専門家が集まって、長い期間をかけて議論をしてきたのか、そして、その議論の結果、現時点では時期尚早として、結論づけられたものを、全く無意味としてしまうような行為に及んだのか、その点について、単に患者の希望を叶える為という理由で、許容できるとは到底思えないからです。

本来であれば、諮問委員会を開いて、そこで得られた結論を下に、国会で法制化すべき問題であったはずです。
それを、この国の議員たちは、やらなかった、その責任は極めて重いと思います。

日本においては、宗教観に乏しいこともあり、生命倫理ということについて、極めて対応が甘いと言わざるを得ません。

例えば、堕胎の問題一つをあげてみても、堕胎を認めるか否かと言うことについて、国民的議論が行われた形跡はほとんどありません。

当然のごとく、日常的に堕胎が行われております。
公式のデータによっても、年間に20万件以上行われているわけです。

単純に考えても、日本の人口1億2000万人のうち、半分が女性だとして、6000万人。そのうち、懐胎可能な年齢にある方が3分の1だとして、2000万人です。

20万件の堕胎件数からすると、単純計算で100人に1人の女性が堕胎を行っていることになります。

この数字が何を意味するのか、それは必ず知り合いの女性の中に、堕胎経験のある方がいると言うことです。
それくらい、堕胎は極めて日常的な問題である訳です。

にも関わらず、ほとんど公式の場で議論されていません。
特に、この問題については、男性の側の認識が非常に甘いというか、なにも考えていないというか、少なくとも生命倫理という観点から、本気で考えている男性は極めて少ないのではないかと思わずにはいられません。

私は、非常に限定された場合において、堕胎を認めるべきであるという意見をもってはおりますが、極論を言うと、なんらの合理的な避妊手続きを経ずに、望まれない妊娠をさせてしまった男に対しては、堕胎罪に問うべきであるとすら思っております。

多くのケースにおいて、何故避妊をしなかったのかと言えば、快楽の度合いが高いからという理由があげられているのです。

これは、自分の快楽の為に、愛する女性の体を傷つけ、そして、生命の萌芽を摘んでしまうリスクを冒している行為に他ならないのですが、男性の側にはその認識がほとんどありません。

相手を思いやる心、そして生命倫理ということについての認識不足、これは、戦後日本人が、学校教育の場に置いても、家庭教育の場に置いても、宗教及び倫理観というものを必要以上に、忌み嫌ってきたことの必然的な結果なのではないかと思えてなりません。

ところで、代理母の話に戻りますが、本来、代理母の問題は予測されていた事でもありますし、法制化すべきであったのです。それは、法制化し、ケースによっては重い罰則を規定しないと、根津医師のようなスタンドプレーを行う医師が必ず出てきてしまうからです。

出てきてしまえば、事実の積み重ねで、折角、色々な分野の専門家が問題点を考え、その時点での一定の結論を出したことが無意味となってきてしまいます。

もちろん、専門家の議論の結果出された意見が必ずしも正しいとは限りません。
そもそも、倫理に答えは存在しませんから。

ですが、そこで出された問題点については、きちんと考えていかないといけませんし、問題点を回避する手だてがない状態で、事実が先行してしまえば、解決できない問題点が顕在化してしまいます。

目の前に、本当に悩んでいる患者さんがいて、それを解決できる手段を自己が有しているとすれば、医師であれば、どうにかして救ってあげたいというのが当然の心情だと思います。その考え自体を否定するつもりはありません。

しかし、同時にその一つの行為から生じうる様々な問題についても、考慮していかなければならないのは事実です。

何故、医師以外の宗教家、哲学者、法律家、文化人類学者等の人々が集まって議論したのか、それは、その行為が単に目の前にいる患者さんの気持ちを大切にするだけでは、解決しない行為だからです。

単に、技術的な問題だけであれば、医師だけが集まって議論すれば良いだけのこと、それで済まない問題があるからこそ、様々な英知を結集する必要があったのです。

その上で、一定の指針が作られたという重みはきちんと考える必要があると思います。
ただ、その上で、日本のマスコミの非常に悪い点が、本日の報道でもあったように思えます。

まず第一に、一定のルールを破った者を英雄しするような報道は絶対にすべきではありません。

もちろん、当事者の意見表明の機会を保障すべきは当然ですが、それはあくまで弁明の機会の保障にすぎません。

それを、まるで、大きな権力に立ち向かう一人の勇敢な医師のような形で報道するのは、やはり間違っていると思います。

日本のマスコミは、どうも、未だに反権力、革命史観の呪縛から逃れられていないのではないかと思わずにはいられません。

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☆狂犬病★

16日付けの新聞によると、国内で36年ぶりに、狂犬病患者が出てしまったようです。
狂犬病は、日本では完全に撲滅された病気ですが、世界中では未だ根絶されておらず、発症後の治療法はないという、恐ろしい病気です。

で、なんでこんなことを書いたかというと、私、ラオスで野犬に襲われました。
その後、現地で2回のワクチン接種と帰国後3回のワクチン接種を行って、無事抗体ができ、発症することもなく、今に至っております。

R17 ラオスで接種したワクチン(フランス製)
VERORAB

R18R19 

 接種記録カード

 
野犬に咬まれた傷
    ↓
R16_1

そのような事情で、私にとって、狂犬病は人ごとではありません。
特に、外国では、犬や野生動物に不用意に近づくことは危険です。

日本にいるときと同じ感覚で、可愛い等と言って、餌を手のひらにのせて渡すような行為は、絶対に慎まなくてはなりません。

手や顔を咬まれると、発症確率は非常に高く、極めて危険です。

現地の人たちは、狂犬病の危険性を良く理解していて、私が犬に襲われたというと、大慌てで、病院の手配をしてくれました。

狂犬病は、日本以外の国では、未だ撲滅されていない非常に恐ろしい病気だということを今回の事件で、再び思い知らされた次第です。

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☆先入観★

実家に帰省後、すぐに今度は鹿児島まで。
うーん。慌ただしい。

色々とやることが立て込んでいるので、実家に戻ったら戻ったらで、ゆっくりと出来ると言うことはありません。

まぁ、人生、自転車操業と言うことで・・・。

転ばないように、こぎ続けましょう。

ところで、新幹線が出来てから、鹿児島へ行くのも非常に楽になりました。
博多から鹿児島まで、2時間30分ですから。

東京に住んでいる人は、博多と鹿児島の距離感が余り分からないとは思いますが、距離にして、約300キロ。

早い話、大体東京と名古屋の距離です。

ちなみに、九州の距離感で誤解があるのが、福岡と沖縄の距離。
これは、東京と福岡の距離に匹敵します。

ところで、そんな話は良いとして。

九州新幹線が部分開業した当時、物事をよく知らない「有識者」が、博多と繋がっていない八代と鹿児島の間に新幹線を走らせてなんの意味があるのか、無駄遣いだと騒いでいたことを記憶しています。

無駄遣いかどうかは、別にして、意味がないというのは、明らかな間違いです。
少しでも調べれば分かることです。

テレビで発言する以上、最低限のことくらい調べて物を言えと、そのときは思いました。
八代と西鹿児島(現在は鹿児島中央駅)が、山間部を通る上に、カーブもきつく、最も時間が掛かっていた区間だったのです。

しかも、人口の多い都市は、この区間には余りありません。
その為、時間短縮の効果としては、この区間に高速鉄道を走らせることが一番だったのです。

現に、2時間以上掛かっていたこの区間が40分に短縮されました。

その上、今まで4時間かかっていた博多、鹿児島間が2時間30分で繋がるということは、飛行機との競合の問題で非常に意味があるのです。

福岡空港は、ご承知の通り、非常に便利な空港で、市の中心部からわずか10分で行ける場所にあります。

ところが、鹿児島空港は、非常に不便な場所にあり、鹿児島市内からバスで1時間以上もかかる場所にあります。

福岡空港から、鹿児島空港まで、飛行機で約50分。
単純に市内から市内までの時間を考えると、約2時間。

ただし、搭乗手続きの時間がありますし、遅延の可能性がありますので、最低でも2時間30分から、3時間程の時間的余裕を見ておく必要があります。

新幹線が部分開業し、2時間30分で市内間を結ぶということは、航空機以上の時間的メリットをもたらすという最大の効果があるわけです。

この辺のことは、少しでも調べれば分かることですが、東京の人間は、そんな九州の僻地のことなど、すこしも調べようとすらしません。調べもしないで、単なる思い込みの先入観だけで、意味がないと断じてしまう。

そのような連中が「有識者」として、したり顔でコメントをしているのを見るにつけ、日本のマスコミの「有識」度の低さを思わずにはいられません。

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☆履修もれ★

ここ最近、高校の履修漏れが報道されています。
それで、まず一番始めに思ったこと。

世界史が必修になっていたんだということ。

個人的には、世界史の必修は当然だと思います。
もっというと、法律・経済系の学部に進学するつもりであれば、世界史と地理は高校生の間に必ずやっておく必要があると思います。

というのも、法律を学ぼうとすれば、ヨーロッパの歴史は知っておかないと話にならないし、政治学や経済学を学ぼうとすれば、地政学的考察は必要不可欠なので、その為の前提としての地理の履修は当然というか、そもそも知らなくてきちんと学べるのか疑問です。

本来、高校の間に履修すべきものを履修せずに、大学へ多くの人間が進学する結果、大学で学ぶべきことが学べずに終わってしまう。それでは、大学が大学たり得ないのではないか。

その為に、今度は、大学院へとなれば、一体この国の教育というものはなんなのかと疑問をいだかずにはおれません。

本来、高校の間に履修すべきものが履修できていないのであれば、卒業などさせるべきではないし、もしそれで、全員が卒業出来ないのであれば、卒業できる程度の学力をつけさせることすら出来なかったのだから、そのような高校は高校ではあり得ないはずです。

ただ、今回の件に関しては、カリキュラムの編成は学校側の問題であって、生徒の側に責任はありません。とすれば、学校側としては、集中的に補習を行い生徒に履修したと言えるだけの学力をつけさせるべきでしょう。

ただし、学力は何時間の講義を聴いたかで決まるものではないので、国家としては、履修時間を柔軟に対応することを認めた上で、厳格な全国一斉の統一試験を複数回行う等の方策をとるべきであると考えます。

ただ、忘れてはならないのは、温情でいい加減な認定をすべきはないということです。

日本の場合、ともすれば、履修や卒業と言うことに関して、割といい加減な側面があります。しかし、高校の卒業認定は、それ自体公的なものですし、また認定に関して、きちんと履修してきた他の人たちとの間の公平の問題もあります。

とすれば、現実に即応しつつも、認定だけは厳格に行って頂きたいと思うところです。

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☆朝日の英断★

朝日新聞をものすごく嫌っている著者ですが、本日の社説に関しては、朝日の英断を評価致します。

詳しくは、朝日の社説(10月26日付)を見て頂きたいのですが、

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu2

例の奈良県の事件です。

「奈良」「役所が放置した」という事実から、即座にピンとくる話ではあるのですが、それを明確に新聞が書いたという意味では、非常に英断だと思います。

もちろん、明確に書くことで、差別を助長しかねないという側面があることは、重々承知致しておりますし、現実に、差別に苦しんでいる方々のことを考えると、下手な報道によって、社会的弱者をさらに追い込む危険性があることは、理解できます。

しかしながら、この問題をタブー視し、ぼかしてしまうことで、果たして、差別が解消されるのかということについては、非常に疑問に思います。

現実にある社会的差別。これは、本当に許すべきではないのですが、差別を助長している一つの側面に、団体内部の問題があるということは否定できない事実です。

朝日新聞が社説で述べるように、「役員がからんだ不祥事が相次ぐようなら、差別解消のために地道に活動を続けている多くの人たちの努力が水泡に帰してしまう。 奈良県連は、こうした人物が組織の幹部を務めていた点だけでも市民の信頼をそこなった。事実関係や背景を自らきびしく調査し、公表してもらいたい。 」というのは、正論だと思います。

この問題をタブー視せず、社説で明確に記述した朝日新聞の報道に関して、今回に関しては、賛意を表します。

これに対して、朝日新聞OBの筑紫哲也は、何をしているのかと言いたい。
と言うのも、筑紫哲也は、「屠殺場」発言で吊し上げられて以来、この団体幹部とは個人的親交があり、自己の番組にも幹部が出演するなど、太いパイプと信頼関係があるはず。

であるならば、今回の問題についても、相当な情報を得ていたはずであり、それにもかかわらず、自己の番組内において、まったくこの点についてはふれず、スルーしていたというのは、どういう了見なのか。

本当に、差別に苦しんでいる方々のことを誰よりも理解していると言うのであれば、自己の番組において、当該団体幹部に出演してもらって、「事実関係や背景を自らきびしく調査し、公表」してもらうよう、交渉して頂きたいものであると思います。

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☆核武装論議★

自民党の議員から、ちらほら「核武装論議」が出てきています。
もちろん、「核武装」しろというのではなくて、「核武装」「論議」に過ぎないのですが、反響の多いこと、多いこと。

何事も議論すること自体封じることは、民主主義国家としてはやってはならないことです。
ただし、この問題の場合は、少しばかり状況が異なります。

言っている人間も、日本が核武装するなどということは、選択肢としてあり得ないことは百も承知のはずです。ですから、だれも、核武装しろなどと言っているわけ訳ではありません。また、まともな政治家であれば、本気で核武装をすることを考えている人はいないはずです。

では、何故、「核武装論議」が出てきて、それに対して、これほどまでに反響が多いのでしょうか。

答えは、単純。
中国、アメリカへの揺さぶりです。

中国にとっては、日本が核武装するなどということは、絶対に避けなければなりません。
理由は、中国軍は、通常戦力では日本に100㌫勝てないからです。

唯一、核を所持することによってのみ、アジアにおける軍事的優位性を保持できる、それが、中国の最大かつ唯一の日本に対する強みだからです。

もし、北朝鮮の核所持に関して、中国が有効な手だてを打てなければ、いくら日本といえども、核武装論が出てくる可能性は否定できません。

そうなると、中国の優位性は一気に崩れますし、核武装論の中で、中国脅威論も再浮上してくるおそれもあります。

その結果、日本の世論が右傾化してしまうと、今までのような日中関係を維持していくことは困難になってしまいます。

また、日本で「核武装論」が盛り上がってくると、アメリカとしても、放っておくことはできません。日本が核武装をすれば、当然、アジアにおけるアメリカの影響力は低下することになりますし、そもそも、アジア全体が軍事的政治的に非常に不安定な状態になってしまいます。

たとえ、そこまで行かなくても、核武装論議の中で、日米安保不要論が真面目に議論される可能性は十分にあります。

日米安保は、日本にとって重要であることは間違いないのですが、それ以上に、アメリカの世界戦略上、極めて重要であることは、その地理的、政治的条件を考えれば明らかです。

アメリカとしては、「核武装論」が盛り上がってくる前に、日米安保の日本にとっての重要性を強調する必要があります。

そのためには、日本での核武装論が盛り上がる前に、日本がアメリカの核の傘のもとにあることを広く国外にアピールせざるを得ません。

実際、アメリカは、この点について、明言しました。

日本の政治家が「核武装論」を主張することで、中国を揺さぶり、アメリカを揺さぶる、はたして、発言をした政治家がどのような意図で発言をしたかは、定かではありませんが、結果として、日本の安全保障に資する結果をもたらしたのではないかと、別の意味で今回の発言を肯定的にとらえております。

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☆核実験★

新聞によると、北が核実験を行ったよう。
怖いと言えば怖いのかもしれませんが、軍事的にいうと、元々核兵器を所持していたことは分かっていたのだから、それほど、大騒ぎをするほどのことはありません。

ただ、今回の実験は、むしろ政治的意味の方が大きく、今後の国際情勢の動きが注目されるところです。

むしろ、核兵器の所持が公になった以上、このまま崩壊させると、核が拡散してしまうぞという脅しの方がインパクトとして、あるのではないかと考えます。

また、NPTからもすでに脱退しているので、きちんと対応しないと、核兵器をどこかの国へ売ってしまうぞ、それでいいのかという脅しにもとれます。

核実験が成功したということは、他国への兵器売買に関して、最大の宣伝行為になるわけで、そのあたりを考えると、今後の動きから目を離せなくなってきます。

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☆逃げず怯まず誠実に★

ここ数日、朝夕はめっきりと寒くなってきました。
そろそろ、お布団が恋しい季節。

朝、布団から出るのが、だんだん辛くなってきました。 (^_^;)
でも、ここは気合いを入れないと・・・。

とは言っても、今日は日曜日。
休日なので、きゅーよー。

ですが、今日しか出来ないことも・・・。
久しぶりに部屋の掃除。

色々な物が発掘されました。
見えなかっただけで、実際には色々なものがあったのね。

隠れた物を発掘して、思ったこと。

面倒なこと、嫌なことは、目をつぶってしまえば見えなくはなるけど、そこからなくなってしまうわけではない。依然、眼前に存在している事態は変わらない。

だから、逃げず怯まず、一つづつ誠実に対処していく必要があるのかなぁと・・・。

そんなことを思ってみたり・・・。(自戒)

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☆不倫と政治家★

今日は一日中雨。
いつもはバイクで通学するのだけど、さすがに今日は電車。

久々の電車通学。
朝は満員電車で、新聞すら読めない。
となると、目線が行くところは、週刊誌の中吊り広告。

ふむ、ふむ。
民主党の細野議員の不倫・・・

ちょっくら、買ってみるか。
ということで、FRIDAYを購入(350円)。

おー、カラー写真でばっちりとられていますねぇー。

つーか、テレビに出ている政治家にしてはガードが甘すぎる。
外でやるな、つーの。

管直人みたいに、室内でやってれば、言い訳にならない言い訳も、一応できなくはなかったものを・・・。

ところで、この手のスキャンダルのとらえ方は、アメリカと日本では全く異なるもんです。
アメリカであれば、「家庭の平和すら守れない人間が国の平和を守れるか」という観点から、不倫はひどく糾弾される。

ところが、これが日本だと、全然違って、「政治家が地位を利用して、いい女を口説きやがって、畜生、許せん。」となってしまう。

どちらが、健全な発想かと言えば、むろん前者。
というか、日本人の発想、やっぱおかしい。

そんなことを考えたり。

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☆自身の成長★

今日は、例のごとく、日中は仕事でした。
ただ、アフターファイブは、充実。

なんと、女性とお食事。 (^○^)

わーい。僕にも春は来るのよーーー。
決してツンドラではない。苔以外も生えることはある。

寒さの中に生える花は美しいということで。
久々の春。いいねぇー。

でも、調子に乗って口説きモードに入ったら、思いっきりかわされてしまいました。
あっーあ。やっぱりね。そりゃそうだ。

理由。「弱点はないでしょ。」

実際の所は、弱点だらけなんだけどねぇ。
確かに、無理して強がりばかりを言っていたのが一つの理由かも。

ただ、それは、表向きの理由で、実際はいい人なんだけど、魅力的ではないという事なので、十分自分自身が反省すべきで、自分自身を磨かないといけないなぁとは思っています。

自分自身を磨く。これは、言葉で表現するのは簡単だけど、なかなか難しい。
今自身で言えることは、昨日の自分より今日の自分が好きになれるように頑張ろう。

ということだけ。

その上で、人から評価してもらえなければ、それはそれで仕方ない。
いつも思っていることだけども、毎日毎日を精一杯生きて、その上での結果で有れば、それは必然。

後悔する必要もない。
後悔するのは、日々の自身の生活に満足していない証拠。

一生懸命努力した後の結果で有れば、直に受け入れる。
それだけのこと。

自分自身、世間に迎合する気もなければ、世間に不満を言うつもりもない。
ただ、与えられた環境の中で、出来る限りの努力をして、日々精一杯生きていく。

ただ、それだけ。
その上での結果で有れば、自分自身では、どうしようもないことだから、あれこれ考えても無駄。

日々、充実した日を送って、前日の自分よりも、成長した自分になる。
それが、日々の目標であり、自分自身を納得させる唯一の方法。

今日はそんなことを考えた一日だった。

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☆着眼点★

今日は、午後から、銀行員の友人の家を訪問。
訪問とは言っても、かみさんも子供も、かみさんの実家にいっていると言うことで、彼一人。

しばらく、茶でも飲んだ後で、温泉でも行くかということになり、健康センターへ。
健康センターに不健康な中年男が・・・。なんとなく、おかしいような気もする。

でも、健康センターは不健康な人間をとりあえず一時的に健康にするところ。
なので、不健康な男どもはむしろ大歓迎。

て、こともないか・・・。
まぁ、そんなことはどうでも良いとして。

私のこの友人、とにかく、注意力というか観察力が鋭い。
普段、なにげに見ていることも、彼にかかると、別の着眼点で、他人とは違った評価を下す。

今日も、普通に貴重品ロッカーに財布を入れて暗証番号を設定し、帰りに暗証番号を入力し、財布を取り出したわけだが、その際、入力番号の配列が設定時と取出時とで異なっていたと彼に指摘された。

(ようするに、電卓の数字配列と電話の数字配列との関係になっていたということ)

そんなことは、全く気づきもしなかった。

でも、言われてみれば違っていたのかも知れない。
配列が異なっているか、ランダムに変わるように設定されていれば、たとえ、設定画面を録画されていたとしても、手の動きから暗証番号を割り出すことは出来なくなる。

セキュリティー上、そのような設定になっているのはむしろ当然。
彼の指摘は正しい訳だが、そんなことは普通気づきはしない。

そう言うところにきちんと気づくというのは、やはり着眼点が違うというか、観察力がある証拠。

同じ事象をみても、なんとも思わない人間がいる一方で、そこから何らかの判断を導き出す人間もいる。

そう言う人間が、新たなビジネスチャンスを掴み、成功していくのだろう。
自分は、明らかに前者。

まだまだ、やつには勝てないなぁ・・・。
はっはっは・・・。

頑張ろうっと。 q(^_^)p

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☆終戦記念日★

8月15日、終戦記念日。
予想通り、小泉首相が靖国神社を参拝。

靖国神社参拝の是非については、私自身、かなりの思い入れがありますので、そのうち、ブログ上でも申し上げるとして、今回は、簡単に分析を・・・。

靖国神社の問題を大きくしてしまったことで、一番失敗したと思っているのは、実は、中国です。

当初は、反日で国内をまとめるとともに、日本を無条件にひれ伏させることのできる、まるで「水戸黄門の印籠」のような便利な存在でした。

しかも、この問題を持ち出せば、日本が必ず譲歩をし、国内的にも、中国共産党の正当性と力の強さを示すことができました。

その意味では、中国が反対するからと言って、参拝を取りやめてしまった中曽根元総理に最大の責任があると思っています。

本来、純然たる国内問題にすぎないものを、自らの行動によって、外交問題にしてしまい、その結果、その後の総理大臣の行動を拘束することとなってしまいました。

また、中国も都合が悪くなると、歴史問題を提起して、日本を黙らせてきました。

ところが、小泉首相になって、「水戸黄門の印籠」が全く役に立たなくなってきました。

そして、今までの総理であれば、強く出ると必ず譲歩してきたので、譲歩を期待してさらに強く出るようになってきました。

しかしながら、小泉首相は、全く譲歩をしようとしません。強く出た以上、引くに引けなくなった中国共産党の面目は丸つぶれになってしまいました。

しかも、悪いことに、昨年の反日暴動そして中国の強い姿勢に、日本国民自体が次第に反発を感じ、企業もチャイナリスクを考えざるをえないようになりました。

その結果、日本企業は、ベトナムやインドに次第に移転し始める結果となりました。

本当なら、そのような動きを中国は止めたいと思っています。しかしながら、自ら首脳会談をしないと言ってしまった以上、いまさら、首脳会談をしてくれとはいいづらい立場にあります。

そのような事情から、中国政府の本音は、

「なんで、そんなに意地を張るの?そっちが譲歩してくれないと、どうしようもないじゃない。あーあ、こんな石頭が総理になるのなら、靖国の問題なんか持ち出さなければよかった。収拾がつかないじゃないのよ。」

と言った所ではないでしょうか。

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☆安保理決議★

全会一致で安保理決議採択。
この記事を見て、真っ先に思ったこと。

中国、反対しなかったんだぁ。マジ。

でも、詳しく見てみて、納得。

7章部分を削って、さらに加盟国に明確に義務を負わせる表現をあえて避けるようにしているようだ。

まぁ、要するに、米中どちらにとっても、後々都合の良いように解釈出来る余地を残して、決議したということみたい。

中国が7章にこだわったのは、アメリカの攻撃にお墨付きを与えるようなことだけは、絶対に避けたいし、経済制裁もやって欲しくはない。そんなことになれば、中国自身、北を事実上の植民地化している以上、経済的損失は計りし得ないものとなる。

また、北に崩壊されてしまえば、韓国との併合によって、北に対する利権を失うし、難民の問題も避けられない。

だけど、中国が拒否権を行使して、潰したと言うことになれば、今後の北の行動に対して、国際社会からの批判を避けられないし、その場合には、7章の表現を含んだ決議案が出された場合に、拒否権を行使することは事実上困難になる。

そのときは、アメリカの行動を事実上、黙認せざるをえない。

そういう事情を考慮して、賛成したのでしょう。

しかし、「全会一致」での賛成ということは、国際社会の結束を示す意味での意義は大きい。

その点では、日米両国にとっても、悪いことではなかったと思う。

ところで、北の政権を崩壊させる簡単な方法。

中国が国境を開放すれば良い。

絶対しないだろうけど。

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☆日本経済★

おぅーっと、今日の題名は「日本経済」。
なかなか、すごいことを・・・。おもいきったねぇー。

で何を話してくれるの?
さぁて、なんでしょう。

それは、一言。
JALのばかやろーーーーー。 (っ`Д´)っ・:∴ゴルァ!!!!!!
株の含み損が10万円を超えただろうが・・・。

昨日の終値。254円。
購入した株価、324円。

大損。 (T_T)

JAL、日経新聞の社説でも、怒られています。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20060713MS3M1300213072006.html

私の言いたいことも大体同じ。
つーか、とっととリストラしやがれ。

まぁ、何事にも前向きな私としては、そのうち株もあがるさ。
今回の件は、良い勉強になった。授業料。授業料。と思っています。

でも、

10万円かぁー。牛丼1年分の値段だぁ。

ィィモン… ρ(;ェ;`○) ィヂィヂ

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☆敵地攻撃能力★

 新聞を読んでいて、頭に来たので。
 ミサイルがほぼ確実に日本をねらって飛んでくる。
 それが明確に分かっていて、手をこまねいて待っていろと言うのか。
 バカどもが・・・。

 MD防衛システムでは、100%防ぐことはできない。
 とすれば、発射できないよう基地を攻撃するのは、当然に自衛権の範囲内。
 そんなことは、当たり前。

 そもそも、自国民の生命、財産を守ることができない国家は真の独立国家ではない。
 現状の日本は、安全保障の中核をアメリカに依存している。
 とすれば、アメリカの顔色を伺いながら、やっていかなければいけないのはある種の宿命。

 にもかかわらず、「敵地攻撃能力」を持つことに反対している連中は、小泉はアメリカのポチだという。

 仕方ないだろ。ポチにならないと国民の生命、財産を守れないのだから。

 それが嫌なら、自前で「敵地攻撃能力」を持つべきだ。

 しかも、「敵地攻撃能力」を持つことに反対している連中は、MD防衛システムにも反対している。

 その理由、100%防ぐことが出来ないものに莫大な金を使うな。軍拡へと繋がる。アメリカの軍事の一翼を担う。等々。

 論理的に破綻している。

 100%防ぐことが出来なければ、防ぐことができる方法を考えろ。
 軍拡へと繋がると言う批判は、自国民を守る最低限度の方法があるにもかかわらず、それ以上のものを持とうとしている時に初めて成り立つもの。
 そもそも、自国民を守る方法がないのであれば、批判の前提を欠く。

 アメリカの軍事の一翼を担うと言う点については、安全保障がアメリカに依存している以上、国民の生命・財産を守る為には、仕方がない。

 自国の安全保障を他国に依存しているというのは、真の独立国家ではない。
 自国内に他国の基地があるというのは、ある種、占領下にあるのと同じ。

 しかも、日本の場合、首都圏の航空管制が他国に握られているというのは、制空権を押さえられているのと同じこと。
 通常の独立国家としては、あり得ないことだから。

 アメリカが中国などと比べるとまだ健全だから(これもかなり怪しいが)、日本人はその異常さに気がついてないようだが、アメリカという国家が仮に独裁国家へと変貌したら、一体どうなる。 

 日本が、アメリカにとことん楯突いたら、国会議事堂、都庁、皇居、一瞬で攻撃されないとも限らない。
 流石にそんなことまではしないにしても、威嚇の為に、重要施設の近辺に戦闘機を飛ばしたら、どうするの?

 そこまでしなくても、横須賀基地に配備されている空母が東京湾内に訓練と称して入ってきたら、どうするの?

 100%あり得ないと言える?

 そんなときは、日米安保を解消して、出て行って貰えばいい?
 出て行かなかったら、どうするの?

 国連に言う? 無駄でしょう。 日本人は国連に幻想を抱きすぎ。

 United Nations を「国際連合」と訳すのは、明らかな誤訳。
 訳すのであれば、「連合国」が正しい。
 所詮、軍事同盟の場にすぎない。

 国連は国会のような議会ではない。何でもありの武力を用いない戦場。
 その辺の認識を日本人はきちんと持つべきだ。

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☆尊敬される人間って★

ブログのメンテナンスがあるようで、2日ほどブログの更新ができなくなるようです。
更新されていなくても、決して、私自身が病気になったわけではないので、ご心配なく。

つーか、だれも心配しないって。 ィィモン… ρ(;ェ;`○) ィヂィヂ

ところで、昨日、かなり近い友人から近況の報告を頂きました。

まぁ、私の気楽な状況とは違って、えらく大変な生活をしているようです。
仕事ができるやつはやつなりに大変な訳で、人から仕事で評価されるのも、一長一短なものだとは思わなくはないです。

ただ、年齢を重ねると、価値観もそれに応じて異なってきます。

20代の頃は、とにかくトップにたってやると意気込んでいた人間(まさに私自身がそうだった)が、30代に入って、逆に出世なんかしたくもないと思うようになってくるというのも、成長したというのか、ある意味気力を失ってしまったと評価するのか、その辺りは確かに難しいところではあります。

ただ、私自身、
「たとえ社会的にいくら成功した人であっても、家庭を犠牲にしている人は、全く尊敬しない。」
という意見を強く持っております。

20代の頃は、そんな意見など微塵も持っていなかったのですが、最近は信念にすらなっております。

社会的に成功するより、一人の立派な父親となることの方が余程困難である。

この言葉は、真実だと思います。

その点、社会的にもある程度出世し、かつ、立派な父親をやっている私の友人は、 本当に尊敬に値すると思っております。

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☆近代戦?★

ひじょーに簡単に近代戦の手順を説明します。

1.まず、巡航ミサイルで敵のミサイル施設を徹底的にたたきます。
2.対空ミサイルの脅威がなくなったら、ステルス型爆撃機で敵のレーダー施設を破壊します。
3.つぎに、軍事関連施設を空爆します。
4.そして、最後に地上戦。

大きな流れとしては、大体こんな感じ。
で、日本の自衛隊が北朝鮮を単独で攻撃できるか。

結論 不可能

巡航ミサイルもステルスも持っていないし、第一、爆撃機もない。
攻撃用として、F15とF2を使えなくもないけど、そもそも航続距離の関係から、北朝鮮まで行っても戻って来れません。

空中給油機を導入すれば、飛んで攻撃はできますが、そんなに実効的とは思えない。
ミサイル施設を叩いておかないと、有人の戦闘機が対空ミサイルの脅威にさらされることになるし、レーダー基地を叩いておかないと、位置が敵に補足されてしまいます。

とても、近代戦とはいえない戦い方を強いられるわけで、そんな状況で自衛隊に攻撃に行けというのは、特攻しろと命令するのと同じ話です。

どうも、日本の政治家というのは、自衛隊員の命をなんだと思っているのか非常に疑問がわいてきます。

イラクへの派遣の際にも、持っていく武器についてあれこれ無茶な注文をつけるし、派遣させる以上、必要十分な装備は持たせるべきだろうと思うのですが、それ自体が政争の具になるというのは、一体、なんなんだと憤りを感じずにはいられません。

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☆ミサイル発射★

朝、起きてニュースを見たら、北がミサイルを撃ったみたいですね。
現時点では、何の情報もありませんが、軍事オタクの私としては、今後の展開を予測してみたいと思います。

まず、アメリカが直ちに攻撃することはないと思います。
確かに、ミサイルの問題は緊急性がありますし、現に核を保有している以上、その危険性は、イラクの比ではありません。
しかし、イラクと違い、石油や資源のない北を攻撃しても、アメリカには経済的に直接的なメリットはありません。
むしろ、難民の問題や中国、ロシアとの関係で、ややこしいことにもなりかねません。

ですから、まずは、安保理の決議をとることになると思います。
その中で、中国とロシアとのつばぜり合いをしつつ、次の手を探ることになろうかと思います。

いずれ、安保理で決議はされるでしょう。その際、北のミサイル基地への部分攻撃であれば、中国ロシアは賛成はしないにせよ、明確に反対もしないと思われます。
中国としては、北が核ミサイルを持つことを絶対に阻止したいのが本音です。
なぜなら、北が核ミサイルを持つとなれば、アメリカが韓国に核ミサイルを配備することを拒否しがたくなります。ましてや、日本が、核武装するということになれば、中国としては、極東における唯一の核保有国としての地位を失うと同時に、日本に軍事力としても劣ることになります。
ですので、アメリカが単独で全面戦争に突入しないように、安保理には反対せず、なんらかの留保をつけるのではないかと思われます。

また、安保理で強硬に反対して、アメリカが単独で全面戦争に突入してしまうと、北朝鮮が崩壊して、韓国に併合される結果となるのは明らかです。そうなると、アメリカと中国は軍事的に国境を接することになります。そうなれば、中国の朝鮮半島に対する影響力は激減します。また、難民の問題を抱えることにもなります。中国としては、北朝鮮は国家として存続してくれて、自分の属国として残ってくれることを一番望んでいるのが本音でしょう。また、北朝鮮が崩壊してもらいたくないのは、ロシアにとっても同様のことです。

一方、韓国にとっては北の崩壊は絶対避けてほしいというのが本音です。北が崩壊すれば、朝鮮の統一国家ができます。民族的には大変望ましいことなんですが、なにせ、経済格差が違いすぎます。ただでも、現在の韓国は失業の問題等、経済的な問題を抱えておりますので、大量の難民を受け入れることになれば、経済的に破綻するのはこれも明らかです。ドイツが統一した直後のことを考えれば、どんな自体になるか、容易に想像ができます。
今の北朝鮮の経済は当時の東ドイツの比ではありません。

また、そのような状況となれば、日本に対してどのような影響が出てくるかは、火を見るより明らかなことでしょう。大量の難民の受け入れ、戦後賠償の再燃、等々。

要するに、どの国もなんだかんだ言っても、北朝鮮には崩壊してもらいたくないというのが本音な訳です。ですので、攻撃をするとしても、極めて限定的な部分攻撃にとどまるはずです。

ただ、すぐにということにはならない。その辺を北朝鮮も分かっていて、交渉材料にしようと考えたというところでしょうか。

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☆村上ファンド2★

ついに、昨日逮捕されてしまったみたいです。
予想通りというか、なんというか・・・。

あとは、厳正な捜査を願うばかりです。

ところで、捕まった途端、色々な人が色々なこと言っていますね。
あっ、自分もそうか・・・。(^^ゞ

散々やられた連中がここぞとばかり。

ただ、ファンドにつけいるスキを与えたのは、企業防衛の手段を講じていなかった経営陣の無策に基づくもの。
それほど、偉そうなことをいえるかと思わないでもない。

ところで、今日の日経の社説にも、「違法ではないが、支配権に影響する大量取得に情報公開を求めたTOBルールの趣旨に背く」とあり、違法ではないが、趣旨に背くという趣旨の記載がある。

個人的には、違法でないなら、合法なはず。
趣旨だとかそういう曖昧なものを持ち出すこと自体、守旧派の言い訳にしか聞こえない。

そもそも、趣旨というものを持ち出すのであれば、現状の会社が果たして会社法の趣旨に則って、運営されているといえるのか。
そもそも、それ自体、非常に疑問である。

ビジネスの世界は、弱肉強食の世界。その中で、新興企業が勝ち残っていくためには、どうしても、グレーゾーンの中を突き進んでいかなければならない。
だって、前例がないのだから、はっきり白といえるかなんてわかりはしない。
ただいえることは、黒でないだけ。

だから、趣旨に反するなんて、曖昧な批判はするなと思わずにはいられない。

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☆村上ファンド★

最近は、まじめな話を書いていなかったので、今回は少しばかりまじめな話を・・・。
どうも、村上ファンドに強制捜査が入りそうな雰囲気。

まぁ、貧乏人にとっては関係ないと言ってしまえばそれまでなのだけど。
率直に感想を述べると、出る杭が打たれたという印象。

実際、法に違反していたのであれば、処罰を受けることは当然だとしても、であれば、他の企業についても、きちんとやって頂きたいと思う。

粉飾決算やインサイダーなんか、元来グレーゾーンがかなりあるもので、それを状況によって黒と言われてしまえば、それまで。

取り締まる側の人員が不足しているのは、事実としてあるのだろうけど、それでは、まるで駐車禁止の取り締まりと同じようなもの。不公平感がぬぐえないわけではない。

そもそも、資本主義の世界においては、単純に言ってしまえば、金を稼いだ人間が一番偉いはず。ただ、稼いだ金の使い方が卑しければ、軽蔑されるだけのこと。

一定のルールに従って、金を稼ぐことが何故に悪なのか。
ルールが誤っていれば、見直せばよい。

当時合法であった手段を、後になって、精神に反するだとか、道義上許されないというのは、負け犬の言い訳にすぎないとすら思う。

ビジネスの世界では、スピードが第一。その世界で新興企業が勝ち残っていく為には、誰もやっていないことを率先して行っていくことが何よりも重要なこととなる。その際には、色々な専門家の意見を聞いて、法に反していないかについては当然検討はするが、どうしてもグレーゾーンの中に飛び込んで行かなければ、ならない場合だってある。

それを、しばらくは放任しておきながら、後になって、旧勢力の側に不利益となったから、色々と難癖をつけてくるのは、とてもフェアなこととは思えない。

精神論を持ち出した時点で、持ち出した人間は負け。
合理的、論理的に、論破出来ないから、精神論を持ち出す。

敗戦間近となった旧日本軍か、北朝鮮の状況と同じ。

一定のルールがあるのだから、そのルールに従って行われていたか否かを、万人が納得できるように、厳正にかつ公平に捜査して頂きたいと思う。

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☆業界の未来★

大学院修了後のことを少し考えてみました。
有資格者の増加、それに伴う就職難、単価の下落に伴う収入減。
色々と暗い話にはことかかない業界のようですが、私は非常に前向きに考えております。

だって、有資格者が増えてくれば、業界自体、変化せざるを得ないですから。
変化していく過程の中で、当然、規制緩和の方向へと進んで行くでしょう。

そうなれば、今までできなかった、あらたなビジネスチャンスが生まれるはずです。
ビジネスチャンスが生まれれば、そのチャンスをものにしないわけにはいかない。

なんと言っても、この年でこの業界に入っていく以上は、今のままでは、キャリアのある同年代にも未来のある若手にも勝てないことになってしまいます。

その意味では、業界の変化、競争の激化は望むところで、どんどん進んで行って欲しいとすら思っております。

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